1月29日(木)知識と品性は相関なーし


こんにちは。終日曇り。不穏な雲行き。



 そういへば僕が興味を持ってフォローする人は昆虫好きが多いな。虫愛でる万年子供たち。なんか生き方に相関があるのだろうか。虫愛づる姫なんてあったね。平安末期の大納言の姫君。

蝶めづる姫君の住み給ふ傍に、按察使(あぜち)の大納言の御娘、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづき給ふ事限なし。
この姫君の、の給ふ事、
「人々の、花や蝶やと愛づるこそ、はかなくあやしけれ。人は、実あり、本地尋ねたるこそ、心ばへをかしけれ」
とて、万の虫の、恐しげなるを取りあつめて、
「これが、成らむさまを見む」
とて、さまざまなる籠箱(こばこ)どもに入れさせ給ふ。中にも、
「烏毛虫(かはむし)の、心深きさましたるこそ心にくけれ」
とて、明け暮れ耳はさみをして、籠のうちにうつぶせてまぼり給ふ。
若き人々は怖ぢ惑ひければ、男の童の、物おぢせず言ふかひなきを召し寄せては、この虫どもを取らせ、名を問ひ聞き、今新しきには、名をつけて興じ給ふ。
「人はすべて、つくろふ所あるはわろし」
とて、眉更に抜き給はず、歯黒更に、「うるさし、穢し」とてつけ給はず、いと白かに笑みつつ、この虫どもを朝、夕に愛でたまふ。人々、怖ぢ侘びて逃ぐれば、その御方は、いと怪しくなむののしりける。かく怖づる人をば、
「けしからず、ぼうぞくなり」
とて、いと眉黒にてなむ睨み給ひけるに、いとど心地なむ惑ひける。

                          (堤中納言物語り)

 う〜む。千年も前にかように個性的な考えの方がおったとは、感激!




 そういえば清少納言もかなりの虫好きではあったな。平安貴族は観察眼が優れていたと云う事か。ホクホク
 そもそも千年くらいで人間が変ると思うほうが間違いだ。5000年前のバビロンでも「目には眼を」とか云われてるけど、今と同じような契約社会で金で解決してた判例がいっぱい出てるよ。五千年経って変ったのは何なのでしょうか?確かに知識は膨大に増えたけど、知識で人間精神が救われてるとも思えんねえ。逆に知り杉た弊害つうのが多いような希ガス。群盲、象を撫でる的にとても細分化された学問の窓からみんな違う絵を眺めているだけかも知れませんが。こういうのも進歩というのかな??




 大昔の哲学や宗教が未だに廃れていないのですから専門知識と人格つうのは殆んど相関が無いし、個性的な虫好きも時代を超えて変らないと。 プププ