一転、空気澄み渡る快晴。18℃〜26℃と過ごしやすい。山々もツカイスリーもすぐ近くに見える也。
余も、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、大川端の芭蕉庵を訪れたり。折しも童らの俳句大会を催しおりたり。庵の近く、和風割烹「みやこ」にて名物の深川めしを食したり。いと旨し美味し♪
イメージ研究とは:
物事の意味をとらえようとするとき、言語が必ず必要になるのか?はたまたイメージだけでも考えられるのか?という研究がありまして、これを二重符号化説と言ふ。事物をイメージと言語の両面から捉えると言う説だすな。イメージは実物に似ている心の中の模型で、言語は実物に似ていない抽象化した概念である。物事を言語だけで記憶するのは極めて難しいが、イメージと組み合わせて連想すると幾らでも記憶可能だとか。
しかし、言語は表に出てきて客観的に他人にも伝達でけるが、イメージは内在的で主観的だから客観的な研究には適さないといふ欠点があった。そこでイメージ認識の反応時間で、脳内の情報処理を推定しようとの提案がありました。例えば、イロエロな図形を回転させて元の図形と同じかどーかを答えさせるとき、回転量が多いほど反応時間(イエス/ノーを判定する時間)が長くなる傾向が見られた。これは言語によらず心的回転を行っているのでは?と推定される。
また、白い画面に黒点を何個か表示したあと消去して、そのあと任意の矢印を出して、その矢印が消えた黒点のどれかを指しているかどーかをイエス/ノーで答えさせる。この時も矢印と黒点が遠いほど反応時間がかかった。心的距離が判断に影響すると。
このように内的イメージを言語を介さず客観的に研究する手段として反応時間を指標として研究することができるが、これにはいくつかの条件がありまふ。1.迅速にハイ/イイエだけで答えさせる。2.被験者に先入観を与えない(目的を知らせない)などの注意が必要である。
絵画や音楽など言語に寄らない認知や思考活動ってあるとは思うが、内的感覚だからどーせ客観的な研究は無理でしょ! というのは早とちりだったのかな?でも、結局最後は言語にしなくちゃならんのだから、質感の問題は残るよね。悲しい音や嬉しい色、不安な形とか。ある程度人類共通の部分もあるとは思えど、大部分は個別的な感覚じゃないのかなぁ???どもども。
基本とは:
キホンぼくはちきりんさんやナミガシラさんは好きじゃないなぁ。キホン彼らは欲望ドリブンだから。しかも、キホン彼らは開き直ちゃってるしね。キホン、疑いも無く自己肯定している奴は好きじゃないっ。 でも、それが弱さの裏返しだっと思えば可哀そうかも。キホン人はすべて可哀そうなんだよね。とか、キホン上から目線で人を詰ってみた。・・・キホン俺って可哀そうぢゃね!タハハ