10月14日(月) 爽やかな体育の日

 晴れ夕刻少し雲が出る。16℃〜25℃。ビオトープのメダカの子供が大分育ってきた。50匹以上はいるな。そのうちヤゴやお玉じゃくし(蛙?)も飼いたい。



 秋晴れに誘われてハゼ釣りに行く。月島運河のトリトン辺り。15cm前後とまだ型は小さいですが、2時間で釣果は20匹ほど。これでわだすも半農半漁の生活と言へるかも。さてハゼとゴーヤの天麩羅でも造ろうかいのう♪




 上原投手、レンジャースを追い出されてレッドソックスに移った途端に大活躍。首脳陣も「我々のマリアノ・リベラだっ!」と大絶賛。やはしチームとの相性ってあるのかなぁ???井川はヤンキースで全く芽がでなかったし。










 世界の記述性とは:

 この世界はイチゼロのビットパターン(ディジタル)なんかでは記述できないだろ?もっともっと奥が深いものだろ!っとズーっと思ってきました。しかし最近のディジタル機器の発達に鑑みるに、映像、音声ともにアナログよりか表現力があるような希ガスる。いわゆる一つの人間の感覚受容器にしてからが、網膜にしろ聴覚にしろ最後はディジタル的に有限本の神経繊維によって脳に伝達されている故、必然的にディジタル的にならざるを得ません。
 すかすだすなぁ、実数、無理数などの無限小数になってしまう数字(ディジタル)などでは、永遠に把握でけない実態が確かにありまふ。宇宙の果てや、時間の始まり終わりなども認識不可能です。つまり我々の認識できる範囲ではディジタルで事足りるが、それ以外にも広大な世界はあるよ!ってことなのかなぁ?

 これをカントは「物自体(Ding an sich)」とゆうて、我らの認識の背後に在って、しかも決して到達できない実在としたのれすゥ。でも、決して認識でけないものをイメージでける人間って、凄くね?