なんか面白いことないすかねぇ


こんにちは。ぐずついた天気でウットオシイなあ。でも傘は無くす
から持ってくのはよそう、と思ったらチョト降られた。と、思った
入梅だってよ。早杉!とか思ったら気候こそカオスの権化。複雑
な要因が絡み合って、ほんの僅かの差異が大きな変化を生む最たる
現象。シーオーツーなんかもその一因なんですが、ホントは物凄く
多い要因の一つなんですよね。自然を侮るな〜!!!





とか、突然怒ったりするのもカオスが原因。体内のイロエロな物質
が複雑に絡み合って、さらに低気圧などが加わると発症する。それ
と3人で銘酒2升、焼酎1升、ウイスキー1本を空けた後遺症が未
だに残っていて、何かと腹立たしい。あまり物質に精神が支配され
るのは好ましくないなあ〜、と反省しつつも月に一度は物質に
負けてしまいますぅ。






最近、ちょっと諸悪の根源は産業革命にあり、そのまた根源は
イギリス経験論にあるんじゃないかと思ってロック、バークリ、
ヒュームの三馬鹿じゃなくって三賢人を読んでる。神から離れて
知覚とか意識とかの本質を探り、心理学とか脳科学の源流みたいな
とこはありますね。バークリ、ヒュームは主著を20代で書き上げ
たとかの早熟で、カントにも大きな影響を与えているとか。





ま、ここでも思考する主体が、対象として思考されると客体と化す
つうループが出現して、経験する経験、意識する意識、知覚される
知覚のクビキからの脱出あたわざる矛盾が露呈しますが、一つ
面白かったのは「因果律」の否定つうとこ。





原因Aがあって結果Bが生じる、というのは1.AとBが時間、
空間的に近接している、2.Aに引き続いてBが継起するという
時間順序が必要で、ここまでは経験的な事実として承認できる。
しかし3.Aが起きればいつでもどこでも必ずBが生起するという
必然的な結合は推理であり、事実からは乖離する。とか。






それで、なぜ人は因果律が信じるかというのは、もともと本質的に
存在していたのでは無くって、「何度も何度も経験している内に
Aが起きればBが生起すると信念する思考的な習慣」であって、
蓋然性は高いが必然的な真理とは言い難い!だってよー。
空間から物がポッと湧いてきたり、逆回し映像を産まれてからズッ
と見せられたらそれが因果だと思うかも試練から思考の習慣と
言われれば、ま、そうかな?とは思います。





でも、物事には必ず原因がある、という因果律まで否定してしまう
と思考もクソもないんじゃねーの?ともう行き詰まってしまいまし
た。ま、でも完全否定じゃなくって絶対的ぢゃないと言ってるだけ
だから、気を取り直して探求を進めるかな〜。






いや、もともとは「自分とは何かな?」、意識の流れは自分的には
有りそうだ。でも失神したら自分は無くなるのか。無意識と死は
同じなのか?とかの思考ゲームがほったんなんすが、正解って
無いような気もするから、プロセスを楽しんでればイイような
イイ加減な気分も無きにしも非ず。
では、無我の境地にて、もやすみー