ロンロンパッパ、ロンパッパ


こんばんはー。花曇りときどき日が差す。暖か。




スーパー寄ったら「全国駅弁祭り」とかやってて、ついイカ飯を買って
しまった。イカ、たこ、貝など軟体系は好きな方だな。美味かった。




ふと、先日議論したことで「死刑制度の是非」なんて思い出した。
僕は心情的には賛成なんだけど、論理的には反対とかいうビミョウな
立場。あまり面白い話題でもないので嫌なんだけど、妙にからむ奴って
いるものですぅ。




犯罪における遺族の永遠に癒されない心情、共に天を戴きたくない、
同じ空気も吸いたくない、つうのをとても否定しきれないような無残な
犯罪は多いです。それが自分の家族に起こったとしたら、とても耐えら
れない類の犯罪は多いです。それらをイデオロギーで無視する逝かれた
弁護団など、腹立たしい限りです。でも、これは感情の領域。




で、僕は公式的には「死刑反対論者」ということになってます。
僕の理由は、目的と手段の分離、ということで、「如何なる崇高、神聖
な目的があろうとも、手段としての悪を許容できると言う事は無い。
目的は価値観に依存しかなり相対的なものである。しかし手段は際限な
く効率化、非道徳化できるものであーる。」とかが建前。




でも、ホントは原爆や無差別爆撃の正当化が反吐が出るほど嫌なだけ。
では死刑は?手段として人の首の骨を破砕して頃州っていいの?
くらいな思想性なしの単純な発想。これを許容したら目的さえ正当なら
どんな手段もおk的なとこまで落ちていくような不安に駆られます。




で、論敵は何と言ったか、「ふ〜ん。手段が嫌なの?それじゃ、緊急避
難とか正当防衛で相手を叩くことも出来ないね。君の脳内はお花畑の
非武装中立ガンジー主義と同じだい。あえて強盗に殺されるのかい?」
とかからかいやがった。




これは深い。自分のことになるとつい冷静さを失ってしまう。そりゃ、
無意味に死にたくはない罠。憲法9条戦争の放棄でも手段としての戦争
には懲りて永遠に放棄したが、自衛権としての戦争はビミョウに復活し
ておーる。では、手段は悪くても目的が正当なら許されることもあるの
か?俺はロンパされてしまったのか。でも、むやみに手段を認めてしま
っても歯止めが無くなるような気もするし、死刑はどーなんだろか?




「終身隔離くらいでいいんじゃないの?娑婆で悪さを出来ないように。」
と言ったら、「その方がもっと残酷だと言い張る人々もいるかもよ。」
だって。一理あり。でも他人の命をあぼーんしちゃった奴なんだから、
それくらいはがまんしなくっちゃね。とか程度問題のなあなあに堕落。
いや、子供を頃したり、バラバラ事件の求刑、判決が微妙なとこ行って
たからつい嫌な議論になってしもーた。「誰でもいいから遣りたかった」
とかの通り魔事件も多発してるし、人類っていや〜だな!モードに突入
しそうな悪寒がしてまする。クッソー




と、機嫌が悪く、お・や・す・みー!!!