無欲の生き方は難しいが先人なきにしもあらず

みなさんこんばんは。クスノキの5mmくらいの丸っこい黒い実を
ハトぽっぽが啄ばんでいる木の下で昼食。晴れ、やや寒の師走の入り。



何かをしてもしなくても月日は百代の過客にして通り過ぎて逝きます。
ここで、良寛さんを思い出さずしてなんとする!清貧の鏡ここに極まれり。


この人は越後の分限者の長男として生を受けたが、何をトチ狂ったか
18歳で出奔。備中のやせ寺で12年の修行後、放浪の旅にでる。その後、
父の投身自殺を契機に40歳で国に戻り山奥に庵をむすびこつじき生活。
書画、漢詩、俳句に秀でたりとも飯の種にせず。ある日、殿様が盛名を
伝え聞いて寺でも建ててやろうかと庵を訪ねたりければ、端坐して答えず。
何か望みはないのか?との問いに一葉の句をしたためて、


「焚くほどは 風がもてくる 落葉かな」
(こつじきのお米があります あとは風が運んでくる落ち葉があれば
御飯を焚けます。それでもう十分ですぅ。くうゥゥ、なんたる無欲さよ。)


で、折角ですから漢詩も紹介しておこう。

無欲一切足  無欲なら それで一切こと足りる
有求万事窮  求めてばかりだと すべてに窮します
淡菜可療飢  少しの山菜だけでも 飢えは癒せる
衲衣聊纏躬  粗末な衣を 聊(いささ)か身に纏うだけ


独往伴糜鹿  独り山奥に住んで 鹿を友とする
高歌和村童  村のわらべと一緒に 大声で歌をうたう
洗耳巌下水  巌の下の泉で 耳を洗い
可意嶺上松  嶺の上の松の枝振りに 心が満たされる

          良寛 (山本英蔵) 号して大愚

無欲にして無為自然の食衣住と天真爛漫に子供と遊ぶ生活を詩っている。
最後の2行は良くわかんないが、漢詩に付きものの表現のようだ。
清々しいせせらぎの音を聞き、かたちの良い枝振りの松を愛でながら、
高潔、孤高に生き抜く精神を現わすとか。



で、70歳のときに俳友として互いにほのかな恋心をいだいていた
貞心尼(30歳)と同棲し74歳にて身罷られた。山頭火とか山下画伯と
通底する漂白の詩人ではあるが最後は穏やかであったようだ。
辞世の句:
     「裏をみせ おもてを見せて 散るもみじ」




そう言えば漱石良寛の書に思い入れ禿しく、「良寛の墨跡を手に入れ
れるなら幾らでも出す。いやしんでもいい。」とか言ったとか。
ではでは、こよいはこれにて、さればじゃ、ごめん。