なにげなく自己正当化の週末

こんばんは。皆さんも週末の夜を機嫌よくお過ごしの事と思います。
この時期になると思い出すのは夏休みの宿題ですね。やろうやろう
と思っているうちに切羽詰まっていつの間にか9月になってる。それ
で腹が痛いとかゴネて学校を休もうとする。変な思い出が詰まってます。





それで社会に出ると線表は右から書けとか煽られます。つまりまず、
目標期日をプロットし、後ろから順番にやるべきことをプロットして行く。
すると今現在やるべきことが見えて来る。だってよー!
これが出来る奴、つまり夏休みの初日からキッチリと時を刻むように
宿題ができるような奴はろくなもんじゃありません。いわゆる規定路線
を一直線という人生。花も嵐も無いというやつですね。最後の最後に
身動き出来なくなって馬鹿力をだすのがまっとうな人生ですぅ。
と最近、自己正当化が激しくなった玉虫ですた。は〜れ〜〜〜





「木を見て森を見ず」とかの貶し言葉があります。また一方、「神は
細部に宿る。」という諺もあります。つまり、全体を見るか細部を取る
かそれが問題だとか。これはある面、その人の気質によるところも大の
ようです。非常に大きく物事を把握しいつも空や山を見るような人、し
かし足元の小石に躓くと。とてもあれこれと良く気が付いて壱円だに
疎かにしない、しかし大筋を間違えて大損するような人。どちらか。





アバウトでしかも細かいという理想的なバランスを保っている人はそう
多くありません。必ずどちらかに偏ります。月を愛で空を愛する一方で
道端の小さな花や小虫にもこころを奪われる。そんなわたくし玉虫が、
その稀有なサンプルではないでしょうか?って、また自己正当化してる
よ。ぷぷぷ




何かをしても、しなくても時は一様に過ぎていくというのは救いなのか
はたまた残酷なのか。たぶん、救いなのでしょうね。では、おやすみ。