3月28日(木)歩くために生まれた(Born to Walk)。

玉虫備忘録:

 概ね花曇り、時折陽射し、たまにポツポツ。13℃~17℃、41%。本郷、上野方面に進出す。街を歩き回ると、どこも花と人でいっぱいですぅ♪今夜から花冷えだと。

 わくわくするようなイベントが少ないと、記憶をスタンプする感情も少ないから、後で振り返っても記憶がスッカラカン。それで時間が短いように感じるんだ。延べ単で起伏がない人生は、一瞬で過ぎてしまいます。ズッシーン

 

人間とは:

 人間の本質は、道具を使うこと、言葉を話すこと、考えること、などイロエロとありまふが、すべての大本は「直立二足歩行」にあると言われます。即ち人間とは直立二足歩行するサルなんすね。こりは約700万年前にいた猿人@サヘラントロプス・チャデンシスから始まりましただ。

 現生人類は約200個の骨とそれを繋ぐ数百の筋肉と、それらを制御する千億の神経細胞で運動します。これらが二足歩行を可能にしてるんすね。元来、中枢神経系つうのは運動のために発達したとゆわれてます。その証拠にホヤつうのは幼生の頃は中枢神経があって動き回ってますが、岩にふっついて動かなくなると、神経はいらなくなって融けて無くなっちゃうんすね。

 それでイロエロと分析すると、二足歩行の要は踵(かかと)の骨らしいんだ。これにより足裏にアーチがでけて、床からの反力を二峰型(M字?)に分割し、直立で落ちてしもた移動効率を上げてるようだ。でも、直立したことで、手がフリーになって道具が発達し、脳が大きくなって言葉や思考がでけるようになったと。そのメリットを支えるためにカカトががむばってデメリットで最小化してるんすね。

 う~む、踵のありがたさを実感せずに、今までないがしろにしてました。明日からは、姿勢を真っ直ぐにして、足を伸ばし、踵から着地して親指で蹴りだす!っちゅう正しい歩行を心がけようと思いまひた。ジャン

 

 

 

 

3月27日(水)桜さくらサクラ。さくらは情緒の源♪

玉虫備忘録:

 くすんだ快晴!7℃~20℃、29%。昼は暖か。午後に入り南寄りの風強し。花粉やや多い。プールだん。

 

サクラ咲く:

 毎年、花見の会を開催するのに、その日程設定に苦労します。桜の開花はその直前の気温だけではなく、前年秋の気温や冬の気温が影響するらしい。脳も無い植物が、どこにどーやって過去の気温変化を記憶しているのか?謎深まる。

 植物は挿し木で増えたり、接ぎ木で増えたり、種で何万年も生きてたり、屋久杉の切り株更新で代々株を引き継いで生きてたり、動物に比べて物凄くしぶとい生き方ですね。動けないから、イロエロな状況に対処でけるように、遺伝子がかなーり多いんですぅ。周りの環境に応じて発現させる遺伝子を調整して、生き延びてきたんすね。

 日本では、桜の園芸品種は200種~600種もあるが、これは野生の基本原種10種とその変種を含めた100種以上の自生種から交配育成されたと言われる。ソメイヨシノは江戸で植木屋のメッカ@染井村で作られたと言ふ。エドヒガンとオオシマザクラの交配種の中で、一番美しいのが「吉野桜」ブランドで全国に売られたんです。だから、全部、この一番美しいミス桜の接ぎ木で増えたクローンなんだって。後に、吉野の山桜と命名が紛らわしいから、「ソメイヨシノ」に変えたようだ。でも、美人薄命なのかな?

 江戸時代は菊や牡丹、あやめや花しょうぶなど多くの花の品種改良が盛んだったんですね。まさに現代で言えば遺伝工学者たる植木職人がたくさんいたんですぅ。このように人為選択が如何に多彩な表現型を作れるかを思えば、膨大な時間を掛けた自然選択でも、物凄く多様な生物を生みだせるような気がしますね。

 さくらは咲き始めの初々しさから満開の豪華絢爛、そして散り際のはかなさ、更に花筏や花畳まで2週間ほど楽しめます。更に、ツウのお宅は南から北まで桜前線の移動に合わせて1か月くらい旅行してさくらを楽しむ猛者もおります。やはし春のサクラと秋の紅葉は、日本人にとっての2大イベントではないでしょうか?ジャン

 

3月26日(火)桜始開(サクラの花が開き始める頃)。早稲田と漱石。

玉虫備忘録:

 曇りすこしパラパラ、のち晴れ。10℃~16℃、49%。花粉非常に多い。スギに加えてヒノキ花粉も出始めました。ショボーン

 

 早稲田の漱石山房というところに足を延ばした。漱石の人生後半の住居跡で、ここで多くの作品が書かれたところです。漱石の幼少の頃から晩年までの写真を多用した年代記のある常設展以外に、今は「漱石鈴木三重吉」という特別展をやってます。

 書簡とかハガキ、全集などの書籍、「赤い鳥」などの雑誌が展示されて、当時の交流が浮き彫りにされ、漱石をとても身近に感じれます。三重吉と同郷である漱石門人の加計正文という人も出てきますが、珍しい名前だから加計学園と関係あるのかな?

 漱石って一見気難しそうですけど、けっこう門人の面倒見が良くって、とても慕われていたそーです。付近には生家に近い夏目坂や神楽坂など、漱石ゆかりの地が多いです。「私」とは何か?を生涯突き詰めた人ですが、感情で「私」の限界を超えようとする実験小説家の一面もありまふ。でも、晩年にたどり着いた境地は、「則天去私」でした。「最も大切なことは自分に従う(小津安二郎)」から、「心の欲する所に従えども矩を踰えず(孔子)」までの変遷かな?(この項、続くかも。)

 

 

 

3月25日(月)気温低めなのにお花見を敢行す。

玉虫備忘録:

 朝夕少し雲出るも、概ね晴れ。4℃~15℃、46%。

 多少早めですが、参加人数が最大だったので神田川方面でお花見をしました。江戸川橋から早稲田まで川沿いの桜を鑑賞す。8分咲きでとても綺麗でした。途中、椿山荘と細川庭園を見学す。和服の女性が多いなぁ、と思てたら、卒業式があったらしい。二次会の会場で、付近の居酒屋はどこも満員でした。

 

はかとは:

 「はかない」とか「はかどる」とかの語源を辿ると、そこには「はかる」の語源となる「はか」がありまふ。こりは古代日本の農地を測る最小単位なんだとか。ここから、農作業がどんどんすすむことを「はかが行く」とか「はか取る」になり、はかが進まないと、「はかない」になったとか。計測においては、単位というものが重要であり、この単位の分解能は文明の度合いを表す評価尺度でもあります。最近はメートル原器とかから離れて、分子レベルの尺度が使われるようになりました。これにより、長さ、重さ、時間、などが極めて精密にはかれるようになりました。

 ついでに思い出したのが「ハカ」ダンスですね。こりは迫力がありまふ。相手に対する尊敬の念を込めて威嚇する!とかのシンプルでない深みがあります。ニュージーランドの原住民@マオリ族の伝統文化ですが、これが廃れずに現在まで残っているところが素晴らしいですね。

 彼岸も明けて、ご先祖様もおはかに帰ってしもたから、おはかまいりに行ってこようとぞおもほゆ。せめて春と秋のお彼岸には、両親を思い出して懐かしむくらいの心がけは必要だと、自身の怠慢を叱咤す。自即他、他即自。一即多、多即一。すべて世界は一体也。ご~~~ん~~~

3月24日(日)自分とは何か?それが問題だっ!

玉虫備忘録:

 白い雲ぷかぷかの晴れ、夕方雲出る。2℃~15℃、28%。沈丁花が満開、桜は3分~5分咲き。明日はお花見にゆってこよう。

 

どうしようもない自分とは:

 人間であるからには、完璧ということはあり得ない。いやむしろダメダメなところ大部分だろう。いくらかっこ付けてても、それは逃れようのない宿命なんですぅ。だから、尤もらしい人間を見てると可笑しくてたまりません。

 闘う哲学者@中島義道氏は、「カントは定言命法などの倫理に言及しているが、ホントはだめだめ人間なんだよ。でも、そのダメダメさを認識していても猶、人間の正しいあり方を追及していたのは凄い!」とゆうてました。本当にどうしようもない自分を直視するところから、哲学は始まるんだと。そのギドーせんせも、実に細かくて人間的に尊敬できないところは多々ありますが、思想に関してはあくまで真摯なんだすぅ。

 自己を見つめるところから仏教が始まると、本願寺派の松本紹圭師は言ってました。その為には、掃除でも、料理でも、散歩でも、ジョギングでも、何かに没頭してこころを空(から)にすることなんだって。それを継続して習慣化できれば、それが修行なんだってYO-♪

 と、話は逸れましたが、自分とは何か?は永遠の謎なんですぅ。でも、それを見つめてないと、決めつけられた自分に閉じ込められるんですぅ。ども。

3月23日(土)ルールが神になった日本とは。

玉虫備忘録:

 概ね曇り、ときおりポツポツ。6℃~9℃、41%。冬型の気圧配置に戻り、気温も一桁とあまり上がらず。でも花粉多し。

 豊洲市場の土曜マルシェがイベントデーなので覗いてみた。ブースも増えていて外国人などの人出も多し。ステージでは歌やダンスをやってます。各ブースは行列で時間がかかるので、今日は食事はパス、車に乗った移動水族館があって、珍しい魚が50種くらい葛西の方から出張して来てました。オジサンという名の魚がいて、ホントに顎髭の生えたおじさんみたいな顔をしていて笑っちゃいました。

 

ルール絶対主義とは:

 これはもう日本人の骨身にしみ込んだ病ですね。一旦ルールができてしまうと、例えそれが実情に合わなくなっても、頑なに遵守して、ルールの方は絶対に見直さないという国民性ですぅ。

 ぼくが若年のころ、おフランスに研究滞在してたときの最初の文化ショックは、みんなが信号を守らないことでした。いや交通量が多くて、守らないと安全に渡れないところでは、みんなちゃんと信号を守ってるんです。でも、交通量が少なくて、遠くにも車影が無い時は、みんなどんどん渡ってるんす。ルールは実情に合わせて柔軟に適用されてました。

 思うにこりは、幼稚園からの前へ倣え教育の成果ではないのんか?と推測致しますぅ。ルールが神様になっちゃうんすよ!それで、なんらルールを適用する状況でもないのにルールを守らない人がいると、いらいらする人が大勢いるんですね。ルールはルールだっ!とかいうわけわかめな理由でもって。

 それで、先進諸国ではほとんど廃止されてる死刑制度なども存続しています。大麻のダメ絶対!なんかもこの類かな?アルコールやニコチン、はたまたカフェインなんかよりも依存性、毒性が低くても、未だに医療用としてでさえ「ダメ絶対」を厳守してマスカラ。

 んじゃ、憲法も実情に合わなくなったら、ジャカスカ変えちゃおうぜィ!なんて声も聞こえてきそうですが、憲法はイロエロなルール(法律?)が、時の勢いでじゃかすか変えられるのを防ぐための重石だから、慎重に100年の計で検討せねばなりませぬ。と言う人にシンパシーを覚える我が現状。でも、時が来たらしっかりと考えて、勢いに任せるのではなくして、それこそ国民の英知を絞って考えることだと考えますぅ。ジャンジャン

3月22日(金)雀始巣、スズメが巣作りを始める頃。ケアとは。

玉虫備忘録:

 概ね薄曇りときどき薄晴れ。14℃~24℃~10℃,32%。今日も暖かで、花粉多し。

 花粉症対策にも大分慣れてきました。外出から帰ると、手をよく洗って、うがいをし、ついでに顔も洗います。あれれ?こりはインフルの対策とおんなじじゃん。

 

人間とは:ケアしケアされる存在なり。

 ひとつ決めつけをすれば、ケアなしに人は存在し得ませんっ!生まれたらすぐに立って歩ける野生の動物と違って、1歳くらいまで歩けないし、自立してエサを食べれるまではかなーりの年月を要します。それ故、いくら若者が、「漏れは一人で生きてきたんだい!」とか粋がってても、それまでに必ず多くに人の世話になってるんすね。また、老年になって行動が不自由になると、何らかの介護が必要になります。だから人は、人間(人のあいだ)とゆわれるんだすぅ。

 生物的には「愛着システム」ってのが遺伝的に組み込まれてて、本能的に養育者に愛着するんですぅ。それで愛着された方には、オキシトシンが出て赤ちゃんをケアするんですね。成長の段階では、養育者が安全基地として機能し、そこから出撃し、またそこへ戻りながら精神的に成長していくんですぅ。

 つうのは、基本構造ですが、あらゆる段階で相互依存システムが機能して、人と人がつながり、ネットワークを形成します。これが「縁」とゆわれます。すなわち人間とは関係性のネットワークなんすよ♪時には、過剰依存を脱して、自らを見つめなおす為に孤独が必要とされますが、その本質を忘れないことが大切なんですぅ。ども。

 

 さて、花見の日時を設定するのが難題だな。参加者数と開花具合を評価関数として、その最大値を取らねばならんぞよ。ま、花よりお酒ですから、ホントはどっちでもイイんですが、アハハハハ