3月4日(金)生命と自由の逆理。

 もくもく雲の多い曇りのち薄晴れ。4.7℃~12.2℃、30%。6300歩。

 今日のコヴィッド状況:都の新規感染者数は10517人で前週より5%減、重症者70人、死亡27人でした。

 

 

「たとえ明日、世界が滅びようとも、今日私はリンゴの木を植える」とは:

(Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree. by Martin Luther) 

 これは宗教改革者@マルティン・ルターの言葉です。明日、世界が無くなってしまうのなら、今何をやっても無駄じゃん?という考え方もあるでしょう。目的とか結果を優先する考えです。しかし、この考えは生きるということを根本から否定しています。生きると言うことは、まさにプロセスそのものだからです。決して結果に左右されるものではありません。

 どうせものを食べてもまたお腹が空くのなら何のために食べるのだ?とか、どーせ最後は老いて衰えて死ぬのなら、なんのために生きるんだ?とか、最後は地球も太陽も無くなってしまうんだから生きることにどんな意味があるんだ?とか、結果を考えて現状を否定するのは、まさに今ここの生命を否定する考えだということが分かります。

 究極的な意味は無いにしても、今ここにあることこそが本物で、その生命をただただ謳歌しようよ♪というのがプロセス優先主義です。なにげない日常の中にしやわせも不幸も全てがあり、それ以外にはない。ましてや明日のことを持ち出して、今を否定する必要もない。破れかぶれでリンゴの木も植えなければ、不幸を先取りしてそれを現在に及ぼすようなものです。

 たとえどんな状況に置かれていても、今ここで自分にできることをやる、一歩一歩着実に歩いて行くことだけが生きると言うことだ。かな?

 また、シシュポスの神話(岩を山のてっぺんに押し上げては、転がり落とされ、それを永遠に繰り返す)ではこのような生命の無意味さこそが、逆にまったき自由を与えてくれるのだと示唆しております。

 (ウクライナの人々にインスパイアされて。)