4月20日(土)穀雨(穀物の成長を助ける雨の季節)、AIと人間と社会。

玉虫備忘録:

 高空に薄い雲が懸かる白っぽい快晴!10℃~19℃、46%。花粉は少ないと人は言へり。でも目がかゆい?好天につられて和光市方面に進出す。郊外は緑萌いずる春爛漫なり。

 

人工知能(AI)とは:

 「AIと人間」つうシンポジウムに参加する。主なイッシューは、1.AIは人間を超えるのか?、2.AIは社会を変えるのか?、3.AIは人間を変える(替える?)のか?つうようなものだす。

 1.に関しては色々と見解が分かれます。・現在の技術の延長では人間を超えれないだらう、つう楽観的なものから、・50年、100年を経て突然変異すれば人間を超えれる可能性はある、つう「わっかんな~い」派や、・いやいやこの調子で速度と容量が増大すれば、必ず化けて特異点を超えるだろう、つう悲観論もありまひた。

 もちろん特定の分野(推論、検索、学習、などなど)では、既に人間を超えているのが出現しています。こりは人が走るスピードや持久力が、自動車に敵わないのと同じです。

 2.に関しては、これはもうAIの影響で既に社会が変わり始めてますから、今さら言うことはなーい!これからも人間の仕事がどんどんAIで取って変わられます。問題は、その状況に適応した社会システムを作れるかですね。でも、技術が当初の意図どーりに社会で使用されるのか?ちゅうと、これは疑問です。電話機は当初は一方向通信で企図されたが、今の主流は双方向です。逆に、ラジオ放送は、当初は双方向で企図されたが、今ではほぼ1方向になりました。つうように、発明者の思いと正反対で使われることは良く起こりまふ。

 3.に関しては、これは大いにあり得るでしょう。技術と人間はお互いに相互作用しながら進展していきますから、新しい技術が出てきたら、人間が変わらないわけがありません。既にTV,ラジオなどのブロードキャストやインターネットによって、人間の生き方や考え方、生活習慣は、それ以前に較べれば、物凄く変質していますから。

 AIと人間の大きな違いは、身体性による縛りが知性に影響を与えるや否やつうとこかな?あと、感覚質(クオリア?)とか情緒とかいうふわふわしたものが、AIに組み込めるや否や?矛盾をそのまま飲み込んで不条理な世界を生きて行くことが、果たしてAIにでけるのかっ!とか、人間の人間たる核心部分が果たしてAIに実装できるのか?AIがとても届きそうもない部分がかなーり後まで残るでしょう。

 興味深いことに、AIの開発・実装の過程で、人間そのものの理解が進むこともあり得ます。「分かる」とは何か?「知る」とは何か?「考える」とは何か?「学ぶ」とはどーゆーことか?などなど、ごく当たり前の精神機能が問い直され、深く見直される契機になりました。

 そもそもコンピュータ自体も、人間が「計算する」とはどーゆーことなのか?を深く問い直し、計算要素に分解し、それを再構成して発明されたものです。そもそも今のAIも、人間が学ぶとはどーゆーことなのか?を深く問い直し、それをアルゴリズムに結実させた成果です。

 そーゆー点から眺めれば、まだまだ突き詰められていない精神機能はたくさんありそーですね?取りあえず、「考える」とは何か?を突き詰めると、たくさんの展開がありそうでやんす。・・・でも、あんまし突き詰め過ぎると、それは技術から哲学に変わっちまうから注意の事よ!ジャン