12月30日(土)晦日の絶対矛盾的論考

 快晴!1℃〜11℃、26%。午後すこし風出る。赤から濃紺に至る夕焼けのグラデーションが美しい季節になった。

 神社にお札を納めに行く。難聴はほとんど自覚症状がなくなった。一週間アルコールを断っていたせいかな?でも、エントリが理屈っぽくなるという副作用は残る。




 絶対矛盾の自己同一;

 この世界は、絶対に矛盾するものが、矛盾したまま存在(自己同一)しているという自覚が、西田幾多郎さんに芽生えたのは何時頃のことであろうか?われわれは、自己と他者、一と多、あるとない、主体と客体、自分と環境など、一見対立しあうものと一緒に生きている。そもそもの物質の成り立ちである素粒子自体が、「波」と「粒」という矛盾した実体が、そのまんま自己同一しているんであーる。不思議だけれど、そういう風にでけとるんだから、仕方がない。

 社会現象にしてからが、自由と平等は相対立している。自由に振る舞えば格差が生じ平等が否定される。平等を志向し、格差是正に向かえば、自由は抑圧される。という、根本的かつ構造的対立がある。しかし、われわれはそのどちらかを選んで、他を捨てると言うわけにはいかない。矛盾を内包したままバランスを取って自己同一するしかナインですぅ。

 戦争と平和に関しても相矛盾する概念の対立がある!それは、愛と平和は両立が難しいという一見矛盾するような現象である。恋愛は生物としての本来的な性質として、争いを内包している。異性獲得争いや嫉妬である。愛国は、他国との争いを誘発する。山高ければ谷深し。光強ければ影濃し。愛国が強ければ、他国を蔑む道理有り。では、愛を滅却してしまえばいいのか?というとそーでもない。利己的、自己的、狭隘な愛を、広く大らかな愛に変えて、自己愛と他者愛を自己同一せざるを得ないのである。極めて困難な挑戦ではあるが、極まれに聖者、聖人の行いが、そのような自己同一の可能性を垣間見せてくれる。

 すなわち、対立概念を争わせるのではなくして、そのまま受け入れることが量子的世界観と言えるでしょう♪あははは  (物理的世界観が更新されると、哲学的世界も激変するってなのは、進化論の頃にも見られました。)その際、自然的態度だけでは極めて困難ですから、高度に抽象化した概念操作(論理学や高等数学など)の援用が必須となるかも知れません。ゾヨゾヨ




 掃除も終わり一息つく。丸の内の「ミチテラス」を見に行こうかと思てたら、28日で終わってた。ザンネン