6月25日(日)雨の日曜日はどこにも行かずに読書っしょ♪

 雨ときどき曇り。22℃〜23℃、70%。気温の変化は少ないが、蒸し暑い。





 映画:メッセージ(ネタばれ有り)

 レイトショーで「メッセージ(Arrive)」というSF映画を見たので備忘しておこう。
 宇宙人との遭遇物なんですが、エンタテイメントというよりか、その宇宙人の言語をどうやって解読するかのやや固い話です。それを解読する女性の言語学者の人生を絡ませて、言語と認識(思考?)の謎を紐解きます。

 その異星人の言語は逐次的(順番に繋がっていく?)ではなく、同時的(瞬時に把握?)なので、時系列に並べられず音声でも話せません。映画ではタバコの煙を輪っかにしたような黒い円環にトゲトゲが沢山でている形で表してました。そのトゲトゲの形で意味を表現しているから、順番とかは関係なく、それ故時間的概念を超越でけるんす。すなわち4次元時空の世界線を瞬時に把握でけるから、逐次的認識に不可欠の過去・現在・未来の区別はありません。過去の出来事も、未来の出来事も、現在も全て等置されてまふ。極大雑把に言えば、表音文字(アルファベットや仮名など)は逐次的、表意文字(漢字など)は同時的なのかな?

 そいでその言語を解読し理解していくうちに、主人公の女性は自分の未来も分かるようになります。しかし、それは一緒に異星人の言語を解読した物理学者と結婚して、娘が生まれ、しかもその一番愛している娘が若くして亡くなってしまい、夫とも離婚する未来でした。苦しむことを前提に選ぶ愛!絶対に失ってしまうから愛さない?止められない愛を選ぶ主人公でしたあああ!・・・しかし、これは別に未来が見えなくても、人は必ず死ぬし、別れはある。さよならだけが人生だ。それでも、今を精一杯生きるのだという、人生讃歌なんですね。結果、結論を考えすぎて動くことができない人々に勇気を与えてくれます。生きるという事を祝福する物語りなんです。と、映画の終盤で意味なく涙が流れた理由が、今振り返って分かりました。



 論理的には、円環構造の自己ループ的矛盾や回文的因果破壊など牽強付会なこじ付けはありますが、選択の重みということを感じさせてくれます。言語に関しては、サピア・ウォーフ仮説(言語と認識の相関)が基になっていると感じました。以前、本ブログでも話題にした、南米ピダハン族の事例を思い出しました。・・・「ここで思い出すのがアマゾンの原住民ピダハン族。彼らの話すピダハン語の文法には過去も未来もなく、現在だけがあるのです。それで、「将来への不安も過去の後悔もなく」現在にだけに生きているから幸福なのだといいます。」(20160201)

 あと「ノンゼロサムゲーム」には奪い合いや争いがないと言うこと。三方一両得?ども。