3月12日(日)奥の細道の手前にて入湯

 今日もまた白っぽい快晴。3℃〜12℃、58%。





 銭湯の旅:北千住

 「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、や ゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず。」・・・芭蕉46歳の春、引きこもっていたいた深川の陋屋を売り払い、曽良や大勢の弟子たちと共に隅田川を北上し千住の地に上陸した。ここで大勢の弟子たちと別れ、前途3000里を思い別離の泪を流した。その時の矢立始めは、「行く春や 鳥啼 魚の目は泪」(いくはるや とりなきうおの めはなみだ)。弟子たちもみんな泣いている。都鳥が空を舞いながら鳴き、魚の目もまるで泪を流しているようだ!という別れの句です。春の別れにも掛けている。

 つうことで千住の旧日光街道(陸羽街道)を散策し千住大橋のたもとにて史跡を捜す。ここに千住小橋というのがあることを知るや多少。草餅の名店にて土産を買う。駅前の丸井ビル上階では千住宿の模型が見れまする。本陣跡、一里塚、東京芸大キャンパス、問屋場、見番址、千葉佐奈住居跡(竜馬の許嫁?)、やっちゃば址、などがある。やっちゃ場とは野菜市場で「やっちゃい、やっちゃい」の掛け声から発したとか。千住葱が有名です。ここには昔から大きな魚市場もあって、芭蕉はそこで魚の目に泪を見たのかもしれませんね?

 大黒湯は東京のザ・キング・オブ銭湯と言われ、唐破風の昔ながらの宮造りで正に銭湯という風情です。正面に大黒様の木彫りがあり、これが名前の由来かも。引き絞った弓が看板替わりに掛けてあり、これは「弓射る」⇒「ゆいる」⇒「湯入る」という流れで湯屋の看板になるという判じ物。入り口には板に「わ」の字が書いてあり、これはもちろん「(湯が)わ板(いた)」ですね。裏側に書いてある「ぬ」の字は何の判じ物でしょうか?

 浴室に入るとまず目につくのは大きな逆さ富士のペンキ絵とカランの上の街道風景のタイル画です。天井は吹き抜けのように高いです。プールのように広い内湯と、ジェット湯、バイブラ湯、サウナもあり、奥には岩に囲まれた露天風呂もあるという豪華さよ。これで460円の銭湯値段とはお得感満載ですぅ。

 下肢にまだ薬疹が残っているので、長湯せずに帰宅せり。いい一日だったと言えるでしょう♪ホカホカ





 追記:判じ絵判じ物について

 江戸時代は絵や物を使って、その意味を考える判じものが流行っていました。今で言うとピクトグラムやアイコン、絵文字などに当たりましょうか。例えば店頭に鎌と椀が置いてあると「かまわん(入れ)」とか、大きな「歩」を下げているのは、「(入れば)金になる」と金の例えで質屋の看板、「木彫りのおかめさん」を飾っているのはげたげた笑う下駄屋さん、大中小の3枚の円盤の下に黒い紐がたくさん下がっているのも質屋さんです。これは3月で流れますの意味です。「猿の絵」はましらで真っ白なおしろい屋、「十三」は九+四で櫛屋さん、また「十三里」は栗より旨い焼き芋屋。こんなのがイッパイあるのがオヤジギャグのような江戸の町角でしたあ!






 WBC:対オランダ戦、熱戦なり。オランダといっても、メジャーリーガーが相手だからなぁ。でもヤクルト勢も頑張ってます。・・・・・・か、勝ったあああ!熱闘11回!中田の一振りで勝負ついたあああ!午前様になっちまったですが、2万人を超えるお客さんは帰れるんだろうか?(_´Д`)ノ~~オツカレー♪