8月19日(金)能力の限界で、ギリギリに戦ってる人は美しい。

 もくもく雲の多い晴れ、ときどき通り雨。25℃〜32℃、80%。むっし蒸しの中、プールだん。

 五反田方面に進出す。駅前に「ギンダコハイボール」って立ち飲み屋ができてて、リーマンで混雑してました。グビグビ




 オリムピック考:競技を楽しみつつ、手放しで喜べないことをも考察す。

 やはし、かな〜り睡眠不足が続いてまふ。昨夜はタカ・マツを見て興奮しました。あと吉田沙保里選手の闘い。どーも女子選手の方に感動が集中しているな。イロエロな競技を見てますが、その競技の技術的特徴とか見るべき醍醐味が分からないので、勝った選手のコメントくらいしか情報がありません。なにしろアナウンサーも解説者も的確に説明してくれないんすよ。ただ結果を絶叫するだけですぅ。(たぶんこの風潮はサッカー中継から始まったんぢゃないのかな?「ゴォ〜〜〜〜〜〜〜〜ル!!!」とか。)ま、たま〜にその競技をよく研究しているアナウンサーとか、昔一流選手だった解説者もいて、その時は目からウロコが落ちたように良く分かります。

 やはしスポーツ観戦は、アスリートとしての心技体の練度を仰ぎ見て、その高みに心打たれるのが本旨であって、それがでけない番組制作者は家族・親族の応援や選手の美談ばっかし吹かしてまふ。豈これを放送のプロと呼べようか?いや呼べません。そもそもオリムピック国威発揚に結び付けようなどとは、ナチスベルリンオリンピック以来の伝統。そしてロス五輪ではコマーシャリズムが全開し、真夏の酷暑期の開催になりました。今回は南半球だからまだイイものの、東京の真夏に外でマラソンなどをやったら、熱中症など飛んでもないことになりまふよ〜!

 そして今では、勝つためなら何でもやってやる!つうドーピングの時代ですぅ。「クスリ止めますか?それとも人間辞めますか?」ってなダメ絶対も国家の栄誉の前には、ただ朝露の如し!元々スポーツは戦争の代替行為であったし、戦前の日本では軍事教練の一環でもあったですから、騎馬戦とか棒倒しが暫く残ってました。今でも組体操なんかはやってるのでしょうね?日本のスポーツ界には帝国陸軍精神主義体罰至上主義が未だに色濃く残ってるし、先輩絶対主義体制(星の数より飯の数?)も消えていません。

 でも、これが日本古来からの伝統かと言へば、左にあらず。塚原卜伝宮本武蔵などは、自らを頼みて修行に明け暮れたり!フェルプスやボルトの能力は、先輩のしごきで生まれたのかっ!本人の努力・鍛錬に加えて、もっと合理的なトレーニング・システムと有能なコーチ陣から生まれたのではないのんか?日本のスポーツ界も、ただただメダルの数に浮かれ踊っていないで、根本的な改善を目指すべきでしょう。どもども。