10月11日(日)人は自分が見たいものを見るのか?

 午前中雨残るも、午後から曇り。18℃〜20℃、88%。




 人は自分が見たものを見る:

 ネコやサルを使った実験によると、縦じまの中で育てると横縞が見えなくなると言う。また片目を閉じて育てると、その目は見え無くなりまふ。すると色のない世界で育てると、色が見えなくなるのか?これは、そーではない。色は見えるけど色の補正ができなくなるそーだ。(臨界期ってのはありまふが。)

 つうことから敷衍すると、同じ哺乳類の人間にも、ある程度こういう傾向があるんではなかろーか?つう推論が成り立ちます。(いや、人体実験はできませんが。)つまり我々にも、猫の横縞のように経験していないものは見えないつうことがあり得まふ。(いや、人体実験はでけまへんが。)

 縦線とか横線、斜め線とかに応じた神経細胞がありまふ。いやいや、それぞれの人の顔に対応した神経細胞もあると言われます。経験して初めてその神経細胞が育つと思えば、経験しないものは神経細胞が無いと。この神経細胞に関する根本機構が、人がイロエロな考え方をもつことの理由になるのかも知れません。例えば、「美」だってモノホンをたくさん見ないと育たないと言いますからねィ。あるいは路傍の小石だって、よく見ればそれに「美」を感じることができます。(玉虫の経験主義より)アハハハ

 ちょっつ考えたんですが、すっごく頭のエエ人がすっごくくーだらないことを言うのは、彼自身の中では整合性があるんですね。なにしろこの世界の中で、見えていないことが沢山あるんですから。縦線しか見えない人に何を言っても無駄ですよね?ショボーン (玉虫の運命論より)

 「意味を考えてはいかんぜよ。意味は神の氏と共に滅んだんだ。何故なら、なぜなぜの幼児連鎖は留まるところを知らないから。ただ、今ここに踊るんだっ♪(byニーチェ)」





 昨日、お墓の後ろで引っこ抜いた小木を調べたら、ウルシ科のヌルデという植物だった。まだ手はかゆくないっ!ども。