3月2日(月)富士山を見て、若い頃の実感が甦る日

 白っぽい快晴。6℃〜13℃、35%。久しぶりに富士山が見えた。

 昨日買ったとり野菜味噌を500ccの水で溶いて、鶏もも肉と野菜(白菜1/4、長ネギ、ニンジン、大根、シイタケ)とトーフ、油揚げを入れたトリ鍋をつくる。これがまた意外な旨さ。明日はうどんを入れてみようかな?また買ってこようとおもいますただ。ウフフフ






 深さと広さの裏腹:

 高校生の頃、初めて富士山に登ったんだけど、近づくほど火山岩や火山礫のがれきの山で、そんなに美しくない。須走を滑って下りてきたら新品の登山靴がアッと言う間にすり減ってボロボロになってしもた。やはし富士山は遠くから眺めるものですねィ。

 銀盤のように輝いた中秋の名月を愛でるのも遠くから。アームストロング船長が見たのはクレーターでデコボコなあばた面。やはし近づくほど粗が見えるもの。でも近づかなくっちゃ真相は見えません。タハハ

 顕微鏡や望遠鏡で深く高く世界を覗かねば、世の真相は掴みがたしっ!しかし細かく見れば見るほど全体像から遠ざかると。美しく滑らかな少女のお肌も、拡大鏡で見ればしわしわの山脈。更に顕微鏡で見ればグニュグニュした細胞しか見えません。これって、魅力的かなぁ?

 エネルギー保存則じゃないけれど、認知量保存則ってのもあって、ものを深く遠く詳細に見るってことは、それ以外のものがボケボケにしか見えなくなるってことなんすっ!電子顕微鏡で見たものがそもそも何の一部であるのかを答えるのは至難の業。これが「専門家の罠」とゆわれる現象で、専門以外のことには普通の素人よりも疎いんですぅ。だからぼくは、この事実を認識している謙虚な専門家が好きなんです。断言し、他を馬鹿にし、夜郎自大に陥った自称専門家には生理的に嫌悪感を催します。正解のない世界で、二転三転する歴史の中、断言なんてありえなーいっ!(と断言してみるテスツ)ショボーン