1月12日 成人の日に思ったことなど


こんにちは。満月の白く大きな月が西の空に沈んだらさぶい
一日が明けた。晴れのち曇り一時小雨のち晴れ。風やや強し。
今日は東京タワーに昇ろうかと思いましたが遠方が霞んでたか
ら中止。また永遠が見える日もあるでしょ。






 正解があると思うからみんな傲慢になるんだよ。自分だけは
正しいのだ!とか。どんな物事にも異なる見解があるのだと思え
ば、もう少し謙虚になれるんぢゃないかな?でも、これは美しい
と感じる主観は自己の本質だから変えようがないけどね。プ







 真っ赤に燃える夕焼けが美しいと感じるのは人類普遍のものだ
と思う人もいるかもしれないが、それは違う。例えば震災に遭っ
た人、空襲を受けた人の中にはそれを恐怖に満ちた醜いものと
感じる人もいるかもしれない。美醜でさえも経験に根ざした相対
的なものだといへるのかもしれない。






 我々は見たいものしか見えないし聞きたいものしか聞かないと
言うのは、単に錯視、錯覚、空耳だけではなく、生存のために必
須な神経や脳の働き自体にもあります。例えば、我々の見える視
野は視神経の側抑制という働きで輪郭が強調されてまする。
漫画的な輪郭線は視神経が獲物や敵を捉えやすくするために創り
出しているのです。勿論聴覚にもこのような生きるためのモディフィ
ケーションはあります。心理的な要素を加えればこれらの加工修正は
もっともっと多くなります。





 ですからカントもこのような科学的な事実が計測される前に
我々は感覚の背後に存在するX(物自体)を決して把握する事
はできないだろうよ、つう不可知論をとなえましたよ。それで
も我々は不正確ながら外界を捉えようと必死になってるのです
から、なんらかの外界があって、その中で我々が暮らしている
というのは疑いないのかな?






 夢にだってそれなりの意味はあるのだし妄想にだって時には
事実が含まれる。他人の心の奥底は永遠に理解はできなくても
、それでも我々は「馬鹿の壁」とか諦めないでもっと謙虚に
耳を澄ませることが大切だとか思った。人間って関係性の中で
しか生きられないのですから。