1月10日(土)110番から哲学な夕べで蛙猿がルビをふった?


こんにちは。雲の多い晴れ。空っ風が強く、さぶい。自転車に
乗ってたら吹き飛ばされそうになった。今日は語呂合わせで
110番の日だとか。カエサルルビコンに賽を投げ込んだ日でも
あーる。






 20世紀の哲学は体系的な哲学の構築と完成を宣言したヘーゲル
の哲学の解体と再構築から始まったと言っても過言ではなーい。
その特徴は、1.在野の人による反哲学、2.アカデミーでは
新認識論から実験心理学、3.実証的な科学主義、4.デカルト
に抗する無意識の我、などがありまする。





 特に大きいのは「神」からの決別で、今まで自明とされてきた
存在理由を神から離れて再構築しなければならなかった事です。
1.人間の合理的な判断力である理性への疑問と身体優位への
傾斜が非合理主義へと導く。2.神を失った世界存在の無根拠性
の自覚と絶対性の喪失が相対主義の地獄を招く。3.超越論的な
メタな視線から離れて経験主義に走る。4.神による価値判断
から放れた哲学は科学万能主義に陥る。などの混沌に入る。






 100%我を把握しているとしたデカルトへの反逆者フロイト
は無意識の大海によって自己が動かされていると喝破したし、
全てを神がお造りになったとする神学をダーウィンが葬り去った。
「真理」は神を失い無根拠になったし、ものごとの本質は神を
失って見かけの現象だけがホントのことだと言われるし、神の
言葉を失って言語が思考を規定するのだと云われるし、仮の宿と
思われていたこの世が、(あの世がなくなってみると)これしか
なーい!と言われるしぃ。現象と実存が目まぐるしく動き回る
疾風怒涛の世へと変貌を遂げたのであーる。ワカッタ?









 それで、哲学から放れてみると精神分析などの心理学と脳科学
が派生して出てくる訳ですが、これらがお互いに貶し合ってるの
も面白い。無意識とか脳のクオリアとかどの道、人間の意識の
限界を探求してんのなら、どちらも同じ鉄格子のなかぢゃねーの?
ばっかじゃねーの!!!ぷぷぷぷぷ






 しかし、人間として生きてると「先入観の排除」なんてド豪く
むずかすいよね。なにしろ「私(ぼく)」を形作ってるのは生ま
れてから今までの経験による記憶なんだから、それらを排除した
ら一体何が残るんだい?とか思うけどね。でも、一つの思考実験
としてやってみる価値はあるのかもしれない。では。