1月19日 こんにちは。晴れ、寒さ続く。


ふと見たら、面白い円鳥があった。「脳を鍛える習慣術」の感想文。




引用のマタ引き

「記憶しようとすること」は、「何かを考える」ことよりもずっと単純な作業だが、記憶の蓄積がなければ、考えることができない。つまり、記憶力は、人間の知的活動の源泉でもあるのだから。


「ぐぐれやカス!」という雑言が飛び交う掲示板じゃありませんが、
なんでもPCに頼ってしまうという弊害は確かにあります。考える前に
もうぐぐってる。条件反射。




記憶が思考の源泉つうとこは確かにありますね。連想的な推理にしても
ネタが詰まってなけりゃすぐに途切れます。既存の知識から新しい考察を
積み上げる数学でも記憶力がものをいうとは昔から言われてますね。
L.ポントリャーギン博士は盲目の数学者ですが微分幾何学で余人の追従
あたわザル業績をあげたのも優れた記憶力のおかげかも知れません。




数学者が若年にして業績をあげるのも記憶力旺盛な時期によるのやもしれ
ん。(しかし、K.ワイエルシュトラス氏のように大学で1単位もとれず
にデモシカ教師になって地方で過ごし,40歳杉てから頭角を現わし
た数学者もおるから何事にも例外つうものはありますが。)で、記憶が
8時間しか持たない数学者の話しが「博士の愛した数式」(小川洋子
ですぅ。(もれも絵つきで紹介する技術を学ぼうかな。)
しかしね、記憶が極端に悪くなって8時間しか持たなくなったら、とても
面白かった本を2~3冊手元に置いておけば良いからこれはこれで経済的
だ。いや俺もこれに近いかな、昨日食った飯を思い出せない事が多いです。




囲碁や将棋の有段者が、棋譜をすべて頭に入れておけるのも記憶力の故か
もしれませぬ。



でも、老人の繰言のように記憶が何の役にも立たないこともありますから
要注意。記憶はそのままでは、いくら膨大でも役に立ちませんから、
なんらかの整理された網的な連結が必要なのでしょうね。それがセンスで
かつ才能なのかもしれません。天才と単なる雑学博士の差とか。