12月31日(火)大晦日

 朝もやのち白っぽい快晴!6℃~17℃、35%。北寄りの風強し。突風ありて自転車ドミノ倒し。

 断捨離は残っているが年末の行動はすべて終わりまったりせんとす。例年のごとく炒り鶏とヤツガシラの煮物を作った。ネットのレシピで作るから毎回味が変わります。今回はちと味が濃い目でした。ども。そだ、ごろー、ごろー、ごろーを録画しておこ。

 

 

 さて今年を振り返って:

 1月に、はてなダイアリーが無くなったので、はてなブログの方に無事移行完了。単に輸出して輸入するだけなんだが、こういう貿易業務は大嫌いなんですぅ。でも、それで調子に乗ってPCのスピードが落ちたり不具合があるとすぐにOSイニシャライズをするようになった。今年は4回も実施したですよ。

 新しい友人が何人かでき、それと同じくらいの友人がフェイドアウトした。

 社会全体としてみると、ゆでガエル現象が進行しつつあるようにも見えます。気づかないうちに貧乏になり、右傾化してシンガポールと言うよりは北朝鮮に近づいている感じ。アクティビストはかこわるいという風潮が、これを加速しておりまふ。

 ともあれローカルにはイロエロな萌芽が立ち上がりつつあるので、まだ手遅れということは無いかな?坂の下の泥沼よりも、坂の上の雲を目指して歩いて行きたいもんですぅ。来年もどーかよろすく♪

12月30日(月)晦日。月と鼈はどの世界にも。

 寒雨しょぼしょぼ、午後上がる。5℃~9℃、56%。寒暖の日替わりな毎日。

 なにもやることが無いんだけど、なにかと気ぜわしい晦日。断捨離を少し実行。ときどき懐かしいものが出てきて時間を取られます。

 

 

 ヒエラルキーとは:

 昨晩、ビーテレで名画「しゃるうぃーだんす?」を見ていて感じたんすが、すべての物事にはプロ、オタク、初心者という階層があるなと感じました。楽器演奏とかスポーツ、俳句などの趣味の会、話し方、舞踊・ダンス、などなどあらゆる分野で共通した特徴がありますね。

 プロはその道一筋で励んでますからあんまし素人をいじりませんが、オタクは違います。初心者が入ってくると先輩面してさっそくいじり始めます。それがとんでも指導のこともあって、ときどきプロの人からたしなめられたりします。オタクにも階層があって、かなーり上手い人から素人に毛が生えたような人まで千差万別です。中には教え魔みたいになって初心者からは嫌がられ、自分も上達しないという万年オタクも見受けられます。

 ま、こういうのを見ていると、段とか級とか黒帯とか家元制とかの成り立ちが分かるような気がしますね。ステップを追った動機づけと達成感♪飽きないように上手く続けさせるシステムでしょうか。でも万年オタクはわざとクラスを上げないで、初心者の指導(いじり?)に楽しみを見出しているところがもの悲しいですぅ。ジャンジャン

 注)鼈:スッポン

 追記:わだすのオタク分野はなんだろ?ネイチャリストは初段くらいかな?スマフォはほとんど素人。科学技術オタクではあるな、やっぱし。DMN道は中級くらいは行ってると思ふ。いっつもボーっとしてまふ♪

 

 

 

12月29日(日)魑魅魍魎か、可能性の芸術か?そこんとこ、よろすく。

 うろこ雲の晴れ、夕方から雲出る。2℃~11℃、33%

 スーパーに行ったら、全てが正月値段になってましただ。ゲンナリ

 

 一寸先は闇とは:

 世の中に信用が廃れると陰謀が流行るんですぅ。戦国時代なんかは何やってもイイってな風潮だったですから、騙したほうが勝ちだったですよ。だから家康なんかは用心に用心を重ねて、秀吉の妹が人質に来ても、秀吉のおふくろが人質に来てもなかなか伺候しなかったですよ。氏んだら一族もろともお終いですから。時には敢えて人質になってる家族を犠牲にしてでも、一族の安寧を図るなんてえ計略も多かったですね。酷い時代です。

 最近の怪文書によれば、スガ・ニカイ一派とアベ・アソウ一派の争いが勃発!なんて陰謀論がありまひた。結果的に見ると前者の2閣僚辞任や副大臣のIR疑惑がリークされメディアが騒いでまふ。ま、真意はどうあれ結果論的にはあり得そうな話です。翼賛体制も勢力がでかくなると内部抗争は必然!桜を隠す実質的な効果もあるしね。これ偏に野党が分裂して弱体化してるのがすべての原因と見るがどーかっ?

 

12月28日(土)イナーシャの大きすぎる社会とは。

 快晴。4℃~11℃、29%。北寄りの風やや強し。ムクドリの大群を見る。

 

 継続は力なり?

 創業200年!なんてのは食べ物屋の老舗くらいで、大企業で昔から続いているところはろくなものではありません。みちゅびしとか、しゅみともとか。ときおりパワハラ事件は起こしてますが、目立ったイノベーションは皆無です。何故か?過去の成功体験を否定しきれないからですね。こりを前例を踏襲する官僚体質と申します。

 技術の進歩は絶えざる自己否定によって齎されるのはご案内の通りです。前の技術をいち早く否定し、新しい技術に果敢に挑戦したところが生き残ります。一時の先行に安住していると、あっという間に追い抜かれる厳しい世界なんすよ。ヴェンチャーが次々に立ち上がる米国西海岸などでは、仕組み的にこの新陳代謝が起こりますが、社内ベンチャーなんて甘いことゆうてる大企業では、所詮無理な話なんですぅ。

 大型コンピュータからオフィスコンピュータに移り、ワークステーションからパソコンへ、さらに携帯からスマフォに進化して、今ではパソコン機能、電話機能の殆どを網羅し、さらにカメラ、時計、辞書、電卓、ゲーム、カーナビ、発券、お財布などなどがスマフォに入りました。スマフォがないとまともな社会生活さえ送れません。スマフォを取り上げられた子供が絶望して家出するくらいです。

 光あれば影あり。スマフォのせいで本や新聞やビーテレが廃れつつあります。いつも誰かと繋がっているので、じっくり考えたり、一日中野山で何もせずに自然の中で過ごすことも少なくなりました。中にはゲームに嵌ってしまう人も出てきます。一日の時間の使い方がすっかり変わってしまうんすね。待ち合わせとか、友人関係、仕事の進め方、勉強の仕方、教育のあり方、研究の仕方、料理の作り方などなどあらゆる生活の局面ががらりと変わります。それがディジタルネイティブとそれ以前のロートルとの断絶を生み、社会に亀裂が走ります。ま、移行期的混乱とでも申せましょうか?

 でも、通常新しいことは正しいとして社会が進んできましたから、たぶん若い人の方が正しいんでしょうね。つう見地からは、政界、財界、官界、企業、報道でロートルが権力を持ってるのは、日本の発展にとって大ブレーキなのではアルマイト!ドーデスジャロ?

 

 

 

12月27日(金)麋角解(びかくげす)、シカの角が生え変わる頃。

 曇りのち晴れ、一時雨!7℃~14℃、45%。北西の風ときに強し!ビュービュー

 大掃除やりたしと思えど断捨離進まず。鏡、ガラス戸、窓ガラスをピカピカにして満足す。あと風呂場、洗面所、キッチンの掃除が残ってます。すでに足腰痛し。

 

 AIとの共存に向けて:

 AIもミスしたり病気になったり死んだりすればモノホンに近づいたと言えるのかな?身体性のない不死身のAIはしんやうでけまへん。身体運動の外部化が車や船や飛行機だとすれば、AIは脳の外部化とも言えますが、脳の計算機能、論理的な機能だけが物凄く高速にできるだけだと、ブレーキが利かずに危やふいですな。例えばAIはサポートに徹して、最後の判断は人間がやるようなハイブリッドシステムが望まれます。実際指紋照合のような画像認識システムは、最後の判断は専門家がしていたような?AIで自動的に逮捕状が発出されてたら、たとえ万に一つの間違いでも大騒ぎですよね。例え間違えても人間ならその人格のせいにできるけど、AIには人格がないからね。とは言え、最近の風潮だと人間でも責任を取らない頬かむりが増えてますから何をかいわんや。トホホノホ

 

 自動運転でふと気になったのは制限速度の範囲で走るのか、はたまた周りの流れに合わせて走るのか?道交法では特殊な例(高速など)を除いて最低速度は決められてないから、遅くても順法なのでそれに合わせてると渋滞になるかも知れません。もし制限速度を超えないように自動運転設定するなら、各道路の制限速度をかなーりシステマチックに決めないと、交通がかなーり混乱しそうですね。(昔トラックの順法闘争ってのがあって、物流がかなり混乱してたのを思い出して。)

12月26日(木)在ったか、作ったか、どっちでもイイのか。愚考シリーズ立ち上げる。

 曇り。4℃~11.5℃、58%。

 をいをい、最近のネットはこころまで読めるんかい!腰の辺りが重苦しくなってきたら、途端に「脊椎狭窄症」の宣伝がグーグルのイロエロな画面に浮かび上がってきますただ。

 

 発見か発明か、それが問題だっ:

 もともと存在しているものを新たに見つけ出したのか、創意工夫で全く新しく作り出したのか?・・・これはクリエーションのあらゆる場面、分野で問題にされまふ。

 神様を信じている人は、必然的に前者になりまふ。神がこの世界のすべてを創造したのだから、この宇宙では何一つ新しいものはないと。こりは自由意思の問題とも関連します。すべては神の御心のままに決まっているのだから、自由意思など存在しないと。

 一方、神が死んだと思てる人はどーでしょうか?こりは二通りに分かれるでしょう。大理石の中に元々あった像を掘り出している派(発見?)と、粘土をこねて今まで無かったものを作り出したのだ派(発明?)になりまふ。謙虚と自負という性格特性が浮き上がります。

 数学に関してもこれは当てはまって、元々あった派のインドの天才数学者ラマヌジャンなんかはインドの女神様が定理をご下賜くだされたと思てまふ。ピーター・フランクルさんは無神論だから、彼の数学は自分で構成したものなんでしょうね。

 

 どんな数学でも、もともと脳内で構想し、脳内で作り上げ、脳内で理解したものなんだから、もともと脳の構造として作りこまれていたと言うこともでけまふ。こう考えると脳=神に近いですねぇ。タハハハ

 

 

12月25日(水)大潮、クリスマス、終い天神。考えるな、感じろ!

 曇り夕方から晴れ間。5℃~9℃、44%。ずてぃんしゃに乗っていると、ようやく耳や手が悴む季節を感じる。

 

 人生は徒労か:

 シシュフォスは神の怒りにふれ、岩を山頂まで押し上げるという永遠の苦行を課せられた。頂上の直前で岩は転げ落ちてしまうのである。この世の不条理と意味のなさをシシュフォスを通して描き出したのは神いやカミュである。

 どんな人間の行動も最終的には無意味に帰する。個人的には死が待っているし、人類絶滅は必然だし、地球自体もついには滅びてしまう。登山家だって苦労して山に登っても、ほんとは山がそこにあるからで、頂上に達しても意味はない。しかしその過程での苦労や充実、登頂の達成感は確かにそこに在った。人生はシシュフォスと同じである。ニーチェはこれを運命愛といい、舞踏の精神といった。すべてをあるがままに受け入れ、身体性を持って「今ここ」を懸命に生きる。今が永遠であり、永遠が今なのだ。そこに全き自由が顕現する。

 

備忘:感覚は個別具体であって違いを強調する。感性は抽象的であって共通したものを求める。心は個別具体の世界をカテゴリー分けして、そのカテゴリー内を同一視し数え上げる。心は数学であり、数学はまた心であるともいえる。計算的人間の誕生!