5月19日(日)メタでメタメタ。

晴れ、ときどき曇り。18℃~25℃、52%。今夜は満月だけど見えないかも。

 

メタで高みへ:

あるレベルで行き詰った時には、すこし上のレベルに見方をシフトすると、見え方が変わって現状を打開できるという。でも、それが本当にメタなのかどーかは分からない。時には思い込みが過ぎて、メタメタになるリスクは常に付随する。

 メタに上がると、シャカが諸欲の根源を「根本的生存欲(無明?)」と喝破したように、下のレベルでは解けなかった煩悩から解放されることができます。でも、従来の聖職者や権威からは充分に理解されず、時には迫害を受けたりしました。

 また、若干20歳で数学に革命をもたらしたエヴァリスト・ガロアは、従来のように代数方程式や代数関数をそのまま扱うのではなくして、それらをグループ化(群論?)してその性質(対称性など)を調べるというメタな見地で難問を突破したのでしたぁ。でも、当時の一流数学者の誰からも理解されなくて、決闘で氏んだんですぅ。

 このようにメタに上がると、従来の考え方に凝り固まってる権威からは理解されないという困難がありまふ。だから、勇者しかメタに上がれないし、上がらないという特徴も顕著なんですぅ。ども。

5月18日(土)ブッダの哲学を語りあう。

概ね曇り、ときどき晴れ間、一時ぱらぱら。16℃~26℃、48%。不安定な天候。

 

四谷方面に進出す:

鉄友いや哲友とインド哲学の話しをした。ブッダ(シッダルタ)出現したのはBC5世紀くらいだが、その前の数百年でウパニシャッド哲学が爛熟していてブッダの考えに近いもの(輪廻、業、解脱、瞑想、苦行など)が既にあったという。欲望や苦(思い通りにならないこと)からの脱出と追跡のサンバは究極的には苦行を通した死によって達成されるとした。

 すかすブッダは無念夢想型の瞑想から徹底思考型の瞑想にシフトし、欲望を引き起こす根源に迫った、根本的生存欲(無明?)であり、これをコントロールしないと欲のもぐら叩きになり、欲望は制御不能に陥ると看破した。まずはこの根本的生存欲をメタ認知し、常に変化する心と身体を自己だと思う錯覚から脱却しなくてはならないと言ふ。この錯覚が我執を生み、我執が欲望を生じ、これが苦しみにつながると。そして死による解脱よりも、今ここをよりよく生きる現生解脱に向かうのでしたあああ!

 「なんかニーチェに似てるね?」と言ったら、「いや、ニーチェの方がウパニシャッドブッダの哲学をよく勉強してるんだ。」と彼は言った。ショーペンハウアーの「盲目的な生存意志」にも似てるから、原典はすべてブッダなのかも知れんですぅ。(入力が遅すぎて書き切れない。この項続くかも)

5月17日(金)記号化と現物化

 晴れときどき曇り。15℃~26℃、42%。なんか眠気がとれません。昨日遅くまで本を読んでたせいかなぁ。面白い本は夜に読んではなりません。ついつい夜更かしになりまふ。

 

 

 記号接地問題とは:

 コンピュータ・サイエンスの中でも難しいのは記号接地の問題ですね。コンピュータ内はデジタル記号で処理が行われます。そのために世界の事物は全て一旦記号化されて入力されます。言語も記号化の一種となります。世界に現実にある事物は、実際はすべて異なっているんですが、その違うものを同じと見なしてまとめていく作業が概念化や記号化となります。だから世界中のすべての違う猫が、「猫」という記号で纏められるんですね。この同一化が人間の特徴です。動物はみんな違って認識する以外はでけまへんのや。例えば音程で言えば、動物は絶対音感の世界で、少しでも音程がずれたら同じ音として認識でけまへん。人間はドレミはずれてもドレミと認識できるんですぅ。

 コンピュータは現物→記号として入力された後は、記号同士の演算をアルゴリズムで処理できますが、最後に記号→現物にするところに難関があります。これを記号接地問題といいます。即ち「リンゴ」という記号を、リンゴのクオリアに変換できるのか?ということです。色や形、大きさなど以外に味や匂いや触感、重さなどあらゆるリンゴ的なものを表せるのか?あるいはAI自身が感じれるのか?ここにAIは果たして心を持てるのか?の課題の大きなネックがあるんですぅ。ジャン

 言語変換(翻訳?)においても、現物ー記号の結びつきは、現物のまとめ方に依存し、しかもこのまとめ方は文化や習俗、言語体系や経験などにより異なるので、同じ記号内同士の変換とは言え、自動翻訳が極めて難しい所以ですぅ。ども。

 

5月16日(木)竹笋生(たけのこしょうず)

 白いもくもく雲が多い晴れ。16℃~25℃、43%。夏日にやや届かず。つつじがとても綺麗です♪

 

 時間軸の伸縮とは:下手な先読み休むに足らず

 時間をどんどん先に進めて、太陽が無くなるくらい先へ行くと、いま我々がやってることは全く意味を持たなくなります。そんなに先に行かなくても1億年くらい先だと、地球の生物相はまったく変わっているでしょう。進化の歴史を振り返ると、わずかな生物種が新たな生物種の母種になる以外の、ほとんどの種が絶滅してきました。そんなに先に行かなくても人類は100万年も経たずに絶滅するでしょう。自ら地球環境を破壊した付けを払わされます。

 いやいやそんなに持たない可能性も大きいですね。自分たちが作り出した超破壊兵器で自滅するかもね。人間の本性が急に優しく理知的になるとはとても思えません(特に最近の極右議員の言動を見るにつけ)。それで最近の政治を見ると、10年先も考えていないような政策が多いです。次の選挙に勝てばイイ!今年の景気さえ良ければ後は野となれ山となれ、つうような場当たり的な政治です。こんなんで人間は万物の長なんて言えるんでしょうか?

 ま、でも、一人の生き方を哲学的に捉えれば、過去や未来は仮想・幻想ですから、しっかりと把握できる「今ここ」に注力して、過去を悔やまず、未来を思い煩わず、今ここだけを一生懸命に楽しく生きる手もあるでしょう。ん?それじゃ動物と同じじゃん。そうです、それがすべての生命の真っ当なあり方なんですぅ。人間だからといって、決して威張ってはなりません。

5月15日(水)アバウトな人には、ますます生きにくくなる世間とは。

 朝のうち曇り、後雲の多い晴れ。16℃~24℃、58%。南寄りの風。

 花粉症の期間にほくろのあたりがかゆくなって、掻いてたらだんだん大きくなってきたので、しむぱいになって皮膚科で診てもろたですぅ。「ただの角化症だけど弄ると大きくなるから取りましょうか?」というから、「はい」と答えたら、あっという間に取られてしもた。あとは絆創膏を貼っておけば1週間程度で治るらしい。ちょとヒリヒリしている。

 

マナーポリスとは:

 近年ネット上に横行する変なマナーを押し付ける人たちのことらしい。些細な言葉尻をとらえていちゃもんを付けるようです。「お疲れさまです。」とか「了解しました。」を目上の人に使うとだめだめ絶対!とか障子の桟の埃みたいな根拠のない謎マナーがゴマンと発生してて、それに従わない人が炎上してるそーですぅ。コワイデスネ

 実際の社会でも、校則や就活マナーなど変なのがたくさん蔓延っているのは、国民性なのかなぁ?根拠はよく分からなくても、みんながやってることに同調しないと不安になる心理?そしてそれを自分がやってることで、やってない人を非難する風潮!まさにムラビトの村八分根性ではないでしょうか?戦前戦中の「向こう3軒両隣監視システム」もマナーポリスといってもいいでしょう。そんなのがネットを中心に復活してきそうな気配です。

 考えてみれば、このような心性は社会のあらゆるところに潜んでいますね。業界の符丁でよそ者を排除するとか、学会ごとに用語が異なったり、同じ概念が違う解釈されたりして、意思の疎通を阻害したりしてます。ちょと奇抜な服装をすると組織から浮いたり、「らしさ」や「分際」を求めたりと、きりがありません。

 しかもこれらの心性は、封建時代に培われたのと明治以後に培われたのがありまふ。前者はムラビト根性や長幼の序など、後者は国民皆兵の軍隊に由来したものや学校教育に由来して減点主義や完全主義がありまふ。世の中に正解は1つしかない、という狭量は教育由来で、これは今でもクイズ番組などで隆盛です。

 いずれにせよ国民の心性ってのはすぐには変わりませんから、なが~~~い目で見つめることが大切です。ただし、謎マナーが提唱されたらその根拠は何なのか?くらいは考えて、もし自分に勇気があればそれに従わないということも必要でしょう。千人に一人でもそーゆー人が出てこないと、社会は変わって行きません。今の日本は、まさにはっきりと申し上げて、「求む勇者!」の時代ですぅ。

5月14日(火)麻雀の後のAI論議。

 曇りときどき雨。17℃~19℃、76%。気温20℃に達せず、やや肌寒。

 

すんずく方面で麻雀す:

 久しぶりに卓を囲むと、やや緊張する。でも、平均すれば4回に1回上がればイイのだから、常に力を入れてると集中力が途切れて、後半落ち込みまふ。クロールでも水中では力一杯掻くが、前へ手を戻すときは力を抜いた方がイイのだ。

 とか能書きを垂れる間もあらばこそ、引き牌が悪く早く聴牌してもすぐに相手に振り込んでしまう。ああこんな時もありぬ、ツキの波は我を去りぬ。とか嘆いている内に、とうとう最下位に転落す。ここで気落ちしてはならじと、最後の1局で跳満を上がってようやく3位に上昇した。5人で回してて、最下位だと、次回の対局に混ぜてもらえないんですぅ。ホッ

 近所の焼き鳥や(てけてけ?)で打ち上げ♪感想戦と共にイロエロと議論す。AIは囲碁、将棋を席捲しつつあるが、果たして麻雀や如何に?わだすの意見では、かな~りむずかすいでしょうね。囲碁、将棋と違って過去の膨大な棋譜はないし、プレーヤーが4人と多いし、なにしろ偶然のツキの要素が大杉マスカラ。

 つうことでAIに席捲されない分野は、枠に嵌めれない潜在性のある分野なんでしょうね?これ(潜在性)は生命にとっても、けっこう本質的なんですぅ。生命はあらかじめ決まったフレーム内でのみ行動するってこたー滅多にありまへんから。これにオートノミイ(自律性?)とオートポイエーシス(自己産生、自己修復?)を加えれば、生物の3大本性と言えるでしょうかっ?この辺がAIのネックと言っても過言ではありますまい。ジャン

 

5月13日(月)過去に学んで未来を想わざれば、すなわち暗し。

 薄晴れときどき薄曇り。13℃~23℃、59%。夜は北風、昼は南風つうのは典型的な山風/海風つうことなのかな?要するに陸地の冷え具合で風向きが変わると。

 

 余裕のない社会とは:だんだんルールに厳しくなる社会。

 イラクラマダン中に半ズボンはいたらタイーホ!とかいうニュースがありました。イスラムでは女性が肌見せたらアウト!つうような戒律もあるから、男性にも制約を課そうってことなのかな?そして、イギリスのガッコで男子だけ長ズボンは不公平だとゆって、スカートで登校運動をしたら、ガッコ側も折れて「夏は半ズボン可」と校則を変えたとか。一方、日本では校則どころか、就活で自主的に黒白の就活服に身を固めていると。また、アメリカではガッコ行くも自由、行かぬも自由ってな具合で、そもそも校則そのものが無効化されてまふ。

 これをイノヴェーションの度合いで見ると、戒律とか規則とか忖度の度合いと反比例してるんすね。自由無き所に革新無し!奇人変人を抑圧するところに発展なし!つうような具合かな?余裕をなくして、アウトサイダー、マイノリティ、弱者、障害者を尊重しないような社会は、結局マジョリティも没落する運命をたどります。そこんとこヨロピク!・・・社会の変革つうのは今までにないことをやるんすから、枠に嵌った考え方はダメでやんす。でも、おバカはちょと複雑になると先の予測もでけないのだから、せめて過去の歴史に学んでほすいもんだすぅ。すかす、今どきのAIは過去のラージデータを統計的に処理・学習して、対処を決めるのだから真に新しい所見は出てこないような希ガスる。悩み、煩悶し、ミスをし、ときにトンデモナイことをやらかす人間の方が、自信満々なAIよりか未来変革力に期待がでける所以ですぅ。どもども。