10月14日(水)無常なる世界における適応とは。

 薄曇りのち曇り。18℃~23℃、63%。大分すずしくなりまひた。6300歩。

 公園は秋の草花色とりどり。コスモス、キバナコスモス、ダリア、バラ、サルビアマリーゴールド、キク、ヒマワリ、アスターエゾギクなどなど。セージの葉を少し失敬してきた。

 

 無常とは:

 常ならざることであーる。ゴーン♪ すなわち絶えず変化しているということです。常に変転している世界に安定を求めても、これは土台無理な話であります。と、観じれば、局所最適など求めなくなるでしょう。

 社会進化学では、現在こうして在るものはあるべくしてあるのだから意味があるんであーる、とかいう「事実を以って当為をなす」傾向におちいりやすいです。そもそも進化というのは、本来価値観フリーであって進歩も退化もナインだす。本来の意味は単に展開していく、ころころと転がっていくと言う意味なのに、進化なんて訳すから意味があるように感じてしまうんすよ。

 であるからして当然、だんだん良くなっていくということもありません。たまたまその時の環境にマッチしたものが残り、マッチしなければ残らないというだけなんすね。そしてその環境自体は絶えず変転するから、マッチ(適応?)する対象も変わります。進化というのは、たまたまその時の一時的な環境によって左右されるから、ずーっと適応的であるなんて全くないんです。無いものねだりも甚だしいんです。

 つうことは、残ろうと思ったら先の環境変化は誰にも分からないのですから、たくさんの形質(形態や性質)を用意しておくしかないんすね。多ければ多いほど環境が変化しても残っていく確率が高くなります。多様性が進化にとっていちばん大切な理由です。最適応して多様性を無くしたものが一番滅びやすいというのも頷けます。

 こういう多様性を評価するような社会進化論なら、少しは認めても良いかも知れんですぅ。バカもリコウも、強いのも弱いのも、右も左も、働き者も怠け者も、真面目なのもいい加減なのも、みんなまとめて面倒見よー♪ってな社会が理想の社会なんすね。そこんとこ、ヨロピコ!