6月22日(月)乃東枯(乃東とは夏枯草のことです)。天と素の狭間には。

 終日五月雨しとしと、時に強し。21℃~18℃、91%。北風やや強し。6500歩。

 先日型を取った奥歯の詰め物を装填する。少ししみるが、すぐに良くなると言ふ。

 

 日蝕の時はいつも不思議に思うのですが、地球ー月ー太陽(惑星ー衛星ー恒星)の配列において、惑星(地球)から見た衛星(月)と恒星(太陽)の大きさが同じ(視野角が等しい)なのが、極めて不思議ですぅ。偶然か、はたまた何か理由でもあるのかな?その位置が、最後にでけた月の居心地に影響しているのかな?

 

 スケールと決定性について:

 宇宙規模の天体の運行などは方程式を計算して、その軌跡をピッタシ予測することができます。地球規模になると、季節とか天候、海流の動きなどもある程度予測することができます。生物圏に入ると、結構偶然性が忍び込んできて、行動の予測はなかなか難しきなってきます。分子レベルになると、ブラウン運動などのランダムな動きは殆ど予測できません。素粒子レベルになると、もうそれが何処にあるかも不確定になりまふ。

 つうようなスケールを辿ると、小さくなるほど決定性から遠ざかる、ということが言えるのかなぁ?人間なんかはそのスケールの中間くらいに位置しているから、偶然と必然が入り混じっている偶有性の世界が見えているのかも知れませんねぇ。つうことは恣意的に見えるココロ(意識?)なんかもミクロ(偶然?)とマクロ(必然?)の狭間で、ふらふらしているのも頷けます。それにつけてもこころってのは不可思議です。なぜ心は無いんじゃなくって、有るんだっ!物心ついたときから不思議です。