7月5日(木)2次元平面の生き物とは


 もや立ち込める薄曇り。30℃には僅かに届かなかったが蒸し暑い。低騒音サーキュレーターを引っ張り出す。


 詰まらないことに拘る晦渋な人をよく見かけます。ネットでは特に多いです。何故なんだ?2次元平面でのテクスト文化は揚げ足が取りやすいっつうのもある。仕草、表情、声音などが伴わないと論理だけが孤立しやすくなりまふ。他のすべての表現手段から孤立した理屈は、屁理屈に陥りがちなのれすね。いわゆる身体性のない正当性の主張。地に足の着かない言い合い。
 ゲーム感覚で楽しんでるのなら岡目から四の五の言う筋合いではあーりまへん。が、遊びを超えて死ぬの生きるのとマジになっちゃうと茶番にもなりません。もっと自分の存在を賭けることは他にもあるだろぉ〜?と思いますが、自分の世界がそこまで狭まってしまえばネットやゲームがその人に取っては全世界。
 ま、メタな見地に立ってみれば、企業社会であろうが政界であろうが学会、官界であろうがゲームの世界であろーが、それはそれで一つの世界であーる!たいした違いはありゃしません!ってなことになるのであろーか? 飽食の世代。









 たつるくんのツイートを勝手にコピペしてみた。詭弁家だとは思えども、この論点には妙に納得させられる。ホゲッ

 小沢一郎グループ離党についての新聞報道の「斉一性」について。「反消費増税・反原発」という空疎な政策で民意におもねり選挙に勝とうとするのはけしからんという論評があちこちに見受けられました。 でも、「民意におもねって誤った政策を掲げる政治家」と「民意に反しても正しい政策を掲げる政治家」では、どちらが「よりまし」かという究極の問いに対して、あえて前者を選んだのがデモクラシーという制度の本質だったはずです。
「民意が『強権的・上意下達的統治システム』を選択した」というのが「耐えがたさ」の最悪の形態なわけですが、デモクラシーはこの「デモクラシー自身がデモクラティックな方法でデモクラシーの無効を宣言する」ピットフォールを回避する方法を発明していません。(太字は参照者)
デモクラシーが僕たちに問うているのは、「強権的・上意下達的な統治システムが分泌する災厄」と「民心におもねった愚策失政がもたらす災厄」のどちらが「より耐えがたいか?」ということです。」

 聖人君子の政治、 軍人の政治、テクノクラートの政治、酋長の政治、王様の政治、皇帝の政治、貴族の政治、三頭政治、金持ちの政治、お子ちゃまの政治などなどたくさんありまふが、今の世界でもイロエロ残ってまふよ。企業人の政治と官僚の人の政治が合体したのが現政権?
 太字部分の「自己破壊する構造まで組み込んでいる」ってデモクラシー最高じゃんかい?諸行無常。変転は世の常。驕れるものは久しからず。ゴ~~~~~~ン



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