3月2日(金)智慧の分岐点

 終日、絹雨しとしと 

 人間はその知性において色々な創造(想像?)を為します。その一つが歴史観。その立地によって見方は異なりますが、一応一貫したストーリーは作れます。何百と言う史観がありえますが、それらをものすごく大きく分けると二つに集約できるでしょう。1.進歩史観2.循環史観です。前者は直線史観であり、全てには始まりがあり終わりがあると。例えば天地創造に始まり最後の審判で終わります。始まりがあって終わりがあるのですから、その途中はすべてプロセスであり未完成の不完全です。常に最終ゴールの完成に向かう中途半端。一方、後者は円環史観であり、始めも終わりもない永劫回帰、生滅輪廻の歴史は繰り返す無限ループ。常に一瞬一瞬が永遠の一部でありすでに完成しているという思想。 しかし現状満足に陥り挑戦の意欲が弛緩する欠点がある。一方は常に未完であり、他方はマンネリ。一方は一回性の緊張があり、他方は永遠の充実。と長短はあるが「永遠」と「進歩」のアポリアはすべての史観に厳在します。一方は進化論や科学技術を齎したキリスト教的文化、もう一方は仏教的な充実で今この一瞬を生きる術。進歩を信じれば常に挑戦が生じるが今は不完全、永遠の循環で今を充実させれば進取の気性が衰え弛緩する。これをアポリアと言わずして何といおうか。
さてこの難問を幾多郎先生はどう解いたのか?
 不完全な今を是認した進歩主義をとるより、永遠の今を充実させるために創造(芸術)を志向した。「創造的世界の創造的個人」が充実した一瞬一瞬を日々新たに生きるのです。これがポイエシス(制作)の思想。しかし残念ながら社会を動かす原理とするにはちと弱い。いわゆる紅旗征戎にあらざる西行法師と言ったところか?
 でも、ほんとに世界は進歩しているのかな?幼少より仕入れた知識によれば確かに進歩していそうですが、進歩とはなんぞや?進化とはなんぞや?単細胞生物は植物・動物を合わせたあらゆる多細胞生物よりか繁栄しているという見方もある。悪知恵を発達させた(自称)高等動物が邪悪な道具を用いてカビのように蔓延り地球を食い荒らしているという見方もある。タハハ この項、今少し考察を要するかも。