1月2日(土)初夢。書初め。箱根駅伝往路。初詣で。

 今日も清々しい快晴!0.1℃~10.8℃。38%。

 

 駅伝なお正月:

 元日はニューイヤー駅伝、2日、3日は箱根駅伝と駅伝に明け暮れる正月ですが、今年はビーテレで応援す♪やはし個人の技量が勝るマラソンと違って、駅伝はチームプレイなところが好ましいです。お互いを信頼してタスキを繋ぐ競技というのは日本に合っているなとおもいました。

 予想外に好調の者もいれば、突然の不調に泣く選手も含めてチームとしての成績を残すのは至難の業!今回の箱根は大波乱でダークホースの創価大が出場4年目にして往路優勝を果たしました♪反して古豪の早大や青学、明大、日体大は11位以下に沈むと言う大波乱。解説者の予想がまったく当たらないというところも駅伝のイイところかな?

 明日の復路は総合優勝以外にも、全校タスキを繋げるか、シード権争いはどーなるのか?など見所満載なので楽しみですぅ♪

 

 そうそう駅伝が終わった後、初詣に行ったら思ったより混んでました。でもコロナ下の新しい様式で手水の柄杓無し、鈴緒無しで接触感染を避けるマナーが徹底されてましただ。疫病退散!のご利益があるといいないいな。

2021年1月1日(金)元旦。明けましたおめでとうございます。淡々とは。

 すっきり快晴♪-1.3℃~10.5℃。23%。冬日なり。

 コロナ感染者数が千人の大台を超えたショックで、朝生を朝までみてしもた影響で初日の出を見られず。ザンネン はっと目を覚ましたら既に眩しすぎる太陽が煌々と元旦の世界を既に照らしてました。明けてました♪湿度が低いせいかすべてがハッキリと明瞭に視認できます。富士山がやや白くなったかな?夕日も眩しく沈んで行きました。

 晴れた日は永遠が見える!

 

 新年の抱負:

 今年の抱負は抱負を持たないこととしました。気負わず焦らず企まず、ただただ淡々と生きて行こうと思いました。その代わり、この世界の移り変わりをジックリと眺めようではあーりまへんか。どの道人間がどー考えようと、世界は変わらざるを得ないんですから。ずーっと今のまんまとゆーことは、ぜってーねーんですぅ。どもども。

「万物久しからず、ただ春の夜の夢の如し、ひとえに風の前の塵に同じく」といへり。無常なり!ご~~~~~ん♪

12月31日(木)大晦日。雪下出麦。感動や苦難の少なかった1年でした。

 寒波来襲の快晴!0.8℃~7.6℃、22%。終日一桁の気温で湿度低し。

 最後の買い出しにスーパーに行ったら超混んでいた。東京の新規感染者は一気に大台を超え1337人!年末駆け込み検査増の影響もあるが、人が動けば感染は拡大するの道理なり。一体誰がエビデンスなど求めようや?愚人なり。

 部屋の掃除もささっと済ませ、煎り鳥とヤツガシラの煮物だけは拵えて、ボクシングを見た後、風呂へ入る。あとは除夜の鐘まで起きてられるかな?明日の日の出は6時50分頃です。晴れそうだから初日の出を拝めそう♪

 

 行く年くる年の感慨:

 個人的には、あっという間に過ぎ去った1年でした。コロナコロナと騒いでいただけで、感動や心に残る思い出が皆無と言う寂しさよ。シャープのマスクが抽選で当たったくらいがいい思い出とは情けない。音楽会、美術展もほとんど行ってないし映画も見ていない。まさにはっきり言って「沈香も焚かず屁も放らず」状態だったですぅ。

 社会的には大激震の年でした。でも、揺さぶられて社会の歪みや膿が顕わになり、良いところも強調されるといったコントラストが際立ちました。状況をつぶさにつかみ取り冷静に事態に対処できる賢者が求められますが、コップの中の権力争いに終始しそうな予感。問題点が見えたなら解決したも同然とならないところが残念である。

 来年は価値観フリーで、日々を淡々と生きていけたら上々。あんまし欲をかかずに、日々これ好日と為し、一期一会を楽しみたく存じ候。皆さんも良いお年を♪

 

12月30日(水)満月。効率や生産性は道具の言葉。

 午前中雨のこるも後曇り少し晴れ間。4.9℃~12.3℃、41%。夜に入り北西風強し。朝地震あり。

 お節や正月料理の買い出しに行く。どこも混んでて超密でした。財布の紐もかなーり緩んでいる様子。やはし羽田さん亡くたったくらいじゃ志村さんほどのインパクトがないのかなぁ?東京の今日の感染発覚944人。さすがにアルコールにつおいわだすと言えども、消毒で手が荒れて来てヒリヒリ。

 

 人を手段としてはなりません:

 嘘をついてはいかーんと並んでカントの有名な定言命法(条件なしでやるべき倫理命題)の一つです。手段とは道具として扱うことですね。人類は石器や火の使用以来、イロエロな道具を発達させて文明を築いてきますたよっと。そのついでに人間自身を道具として手段かしてきましたのだ。

 でわ、人間を手段とするとどんな副作用があるのか?道具は人間の生活を快適にし便利にしてきました。道具になったってイイじゃん?という意見もあるでしょう。しかしっ、道具になったとしたら使えなくなった途端にポイされちまうんすよ。所謂人間を生産性でランク付けしたり、役に立たなくなったら山に捨ててしまうということが道具化なんす。

 役に立たない者はいらーん!つうのはナチスの優生論です。それで障碍者や傷病者、多民族をアボーンしてきました。そもそもアートというのはお腹の足しにならないし役に立たないという時代もありました。しかし人はパンのみで生きる者に非ず。芸術は生きて行くうえでエッセンシャルなものだっちゅうのが欧州の考え方です。つう意味では、ただそこにいてくれるだけでいいんだという赤ちゃんや老親だって生産性はないけどエッセンシャルなんすね。

 何ごとも経済効率や生産性やお金だけで価値判断する現在の風潮は、人間の価値を著しく棄損していると申し上げざるを得ません。(玉虫のカント曲解集より)

 

 

 

12月29日(火)だんだん押し詰まってきましたぜっ!

 曇りときどき晴れ、4.3℃~13.1℃、52%。

 

 光ってるとこ中心に磨き掃除:

 大掃除をやろうと思たですが、小掃除になりました。明日からさぶくなりそーなので、ベランダや網戸、ガラス戸などを掃除する。ついでに洗面所と風呂場も掃除する。

 ガラスや鏡がピッカピカになって、まるで無いものが如し♪毎月やれればもっと明るい暮らしができるのにね、と毎年の年末行事の感慨なり。断捨離はほとんど進まず。「人間本来無一物!」なんて禅語が心頭に浮かぶ也。

12月28日(月)御用納め。ヒトに不可能なこととは。

 午前中少しぱらぱら、午後からだんだん晴れてきました。6.5℃~13.5℃、51%。5200歩。微熱と頭痛の二つ我にあり。

 あと4つ寝るとお正月。使ったアドレス帳が古かったらしく、すでに2通が宛先無しで戻ってきたですよ。ギャフン 最近かなーりぼけが昂進してまいりましただ。ショボーン

 

 

 でたらめとは:

 でたらめとはランダムなことです。すなわち本質というものがナインだすぅ。仮にランダムとはこういうものだと定義できたならそれはもうランダムではあーりまへん。これこれこーゆーものがランダムですと言ったとたんにランダムではなくなるという本質的な矛盾を内包してるすね。自己否定的な自己言及は矛盾を導くの一例かも?

 反して意識つうのは合理的で筋道の断った思考で成り立ってまふ。辻褄の合わない人はガイキチと呼ばれます。脳の本質は筋道ですから脳内では絶対にランダムを作れません。仮にランダムを作れるようになったらガイキチになりまふ。だからランダムを作るには脳の外部で鉛筆やサイコロを転がしたりするんですぅ。

 でたらめをやろうとしても決して出来ない悲しさよ。嗚呼無情!

 

 

12月27日(日)大安。本年最後の日曜日を湾岸にて、まったりと過ごす♪

 朝晩雲が多い晴れ、3.4℃~12.7℃、33%。10200歩。湾岸人出多し。感染者数708人。

 ベンチに腰掛けて夕日を見ながら成城石井のあさり弁当を食す。旨し♪風邪症状はだいぶ改善す。ウッシッシ

 今年最後の大安という張り紙につられて正月の縁起物を買う。しめ飾りや鏡餅など。

 

 

 忙しなさとは:

 今年はコロナの所為か、年末特有の忙しなさが少ないように感じる。何をやってても、コロナが去らなければ始まらない、という中途半端な感じがしてならないのです。いわゆる今ここの生活実感が上滑りなんすよ。生活全体をカッコに入れてしまい、暫しの猶予を願っているような嘘っこ感ですね。

 でもコロナ禍で苦しんでる人は大勢いて、それはもう忙しないどころではない正念場!というのも想像できますが、都会を表面的に断片化してみると、庶民はどこ吹く風と我関せず。だって商業施設はどこへ行っても密密密の連続なんすから。でもパンデミックというのはソドムとゴモラへの天罰みたいなもので、密集し退廃した都市への神の怒りなんすね。田舎に分散して暮らしていれば決して起こらない災厄なんす。

 つうことで、諸人たちはひっそりと聖夜を過ごしてのち、新しい年を迎えることが災いを退ける最大の方策なんす。がっ、罪びとたちは驕り高ぶってマスカラ、聖夜に浮かれ、新年に浮かれて決して反省しないのでしょう。何故なら忙しなさというのは、もう既に心が亡くなっているのですから。ザンネン