7月28日(日)学歴主義も権威主義の一種ですね?

 薄い雲の覆う白っぽい薄晴れ、のち薄曇り。26.5℃~36.8℃、45%。1400歩。熱帯夜&猛暑日熱中症アラート!

 ずてぃんしゃのペダルにぶつけて脛に傷を負ったが、それが三週間も直らないので少ししむぱい。一応皮膚科にはかかっているんですが、石鹸で良く洗って抗生物質の軟膏を塗れとゆわれて、守ってるんすが。

 

 操作(アルゴリズム?)と意味(ミーニング?)とは:

 こりは日本の義務教育において近年問題になっているところではありまふ。すなわち小学校では和算を起源とする意味を求める算数を、そして中学校では変数の操作だけで解を求める数学をおせーまふ。

 旅人算とか鶴亀算とか、それぞれの意味を考えながら図形を使ったりして解を求める方法が、変数の間の関係を方程式に表すと、後は式の変形だけで解が自動的に出てきてしまう不思議さよ?

 数学に情緒を求めたのは岡潔、数学を形式化しようとしたのがヒルベルトブルバキ?近年ではフレーゲの論理主義も見直されつつありまふ。意味とはナンダ?それは納得の構図に過ぎないのではナインか?

 数学とは証明の連鎖である。証明を理解し解説できるのは数学研究者であり、数学の定理を創出し証明できるのが数学者であーる、という定義に従えば、日本には数学研究者が大杉だしょ?

 ともあれ数学を情緒として楽しめるのも一つの民族性ですから、あながち和算起源の旅人算なんかの練習するのも意味なしとはできんぞなもし?かな?

 だがしかし、思考力の訓練とか言っても、実際は公式の暗記合戦のような偏差値教育では、すぐに役立たなくなる公式暗記に意味はなーい!でも、偏差値受験が続くのは受け入れ側の社会の問題が大きいといへるだすぅ。すなわち受験を上手くすり抜けた者だけを優遇する学閥しゅぎですね。

 社会の思考放棄とでも言えるのかな?タハハハ