2月17日(日)秘してこそ花

 雲の多い晴れ。0℃〜7℃。引き続き厳しいさぶさ。何もないベランダに野鳥飛来す。


 
 「日本の論文も、そうあってほしいんです。もう最近は、論文じゃなくても、ツイッターですら論文調なんですよね。「俺は知ってるぜ」みたいなのを、人を批判するためだけに使っている。例えば「な、俺正しいこと言ってるぞ。命にかかわることなんだから、わからない奴は、ひどいめにあうぜ!」っていうふうな気持ちから出来上がる文章は、自分の意見に賛同しない人を「間違った人間だ」と言いたいだけで、誠の心を伝えたいというものとはまるで別でしょう。しかも「ひどいめにあうぜ!」って堂々と言うなら「ああ、この人、変わった人なのかも」って読む側もまだ思えるかもしれないけれど、それをもっともらしく論文調というので説き、またそれを他の誰かが真似しだしてどんどんたちの悪い方向へ行ってしまう。だから僕は、人を批判するのに論文調はやめてほしいって心から思うんですよ。(名越康文)」
 というような文章があったとするでしょ。しかしこれは根本的に再帰的なんす。人を非難するのはいけない!と人を非難する人みたいな。中身には十分に共感できるんですが、それを声高で言った時点で・・・・・・   ん???


 相対化の害悪:相対化は必ずしもイイことばかしではありまへん。自分の真の価値よりか、人と比較してなんぼとか。偏差値なんてその代表。平均値からどれ位イイかワルイかを表わすだけで、集団全員ががんばっても怠けても、その集団からの相対的な位置しか示さないから、性善説に立っているとはいへまふ。みんなが頑張らなくてもその集団の中の位置が上なら偏差値はイイ!皆が頑張ったら自分が頑張っても偏差値は同じ。競争社会の物差し。しかしこれは元来受験の物差しから出でたもの。地学と物理を同じ尺度で判別しようとの苦し紛れ。違うものを比較しようなど本来はでけないこと。これを数字化しようとの無理が通れば道理引っ込む。ハテサテ
 でも生物界ではね、適正な割合って決まっててね、それは個体の資質とは無関係なんすね。例えばアリンコのコロニー。よく働く蟻が2割、全く働かない蟻も2割。しかしてその良く働く蟻ばっかし集めてコロニーを作ったら働かない蟻が2割でると。働かない蟻ばっかし集めてコロニーを作ったら、その中から良く働く蟻が2割でてくると。不思議だけれど社会相対的なんすよねぇ。ドッボーン


 ↓あれあれ↓