3月29日(木)世界は偶然で出来ていたんだ?(考)

 弥生の空は春がすみ


 今日ひとつ分かったこと:
 目の下が赤くなってかゆくなるのは花粉の所為だと思っていた。それでマスクをして花粉メガネを掛けて外出するのですが、鼻汁やくしゃみはないし白目が赤くなることもなーい!去年の暮れにも目の下が赤くなってひと月も治らないから皮膚科に行ったら「かぶれ」だとゆわれて副腎皮質ホルモンの軟膏を処方された。その時もマスクをしてたんだ。つまりマスクアレルギーが濃厚に疑われる。いやいや人間って、ゴマンとあるアレルゲンの何に反応するかはホントに千差万別。ま、それが個性ってことなんでせうねぇ。

 今日ふと感じたこと:
 この世界の捉え方として、1.すべては偶然であり、理由も意味もナインだよ!つうのと、2.すべては必然であり、神が意図して意味のある世界を創ったんだよ!つうのがある。どちらも有りうるが、どっちかっつうと後者の方が証明を要するような希ガス。そもそも世界が「自発的な平衡の破れ」から始まったんなら、これは偶然にすぎないよね。でも、人間って世界を合理的に解釈しないと生きて行けない動物であるのも事実だしね。どないせいっちゅんじゃー! 偶然と必然がごっちゃに混じり合い、必然の中に偶然があり、偶然の中にまた必然があるっ!ちゅう偶有性が中を取った玉虫色っちゅうことですか?はいはい。

 擬制のたくらみ:
 「最大多数の最大幸福」とか「三権分立」とか「民主主義」とか「株式会社」とかの綺麗ごとはもう言ってられないんじゃないのかな?「きみの考えは古いよ」とか「多くの人はそんなこと思ってないよ」とかが価値の証明になるのかな?論理的には、新しければすべて良しともしないし、人数が多ければ正しいということもない。同様に、ルールを守ったから良い、破ったら悪いっつうことも必ずしもいへません。極端にいへば、上官が非人道的な命令を発して、それに従ったものは優良かっつうと、その組織では優良、人道的に見れば不良ってことになる。結局よりシンプルに家族や地域の人々の為に生きるというのがイイのかと思うと、それがまた災厄の元になるケースもありえまふ。なぜなら戦争ってのはそのために起きるってこともありマスカラ。身体性に基づけば普遍性からの解離、精神に基づけばローカルから解離ってな矛盾は解消のしようもあーりまへん。それで何とか擬制に縋って、その日暮らしの遣り繰りかと。ども。

 




 おっと忘れていた、昨夜の回答:常識(感性)と論理(計測)とのかい離。
 同じ体積で温度も同じだとして比較すると、気体の状態では、水蒸気(H2O)の分子量が、酸素(O2)の分子量と窒素(N2)の分子量よりも小さいから、湿度100%のほうが水蒸気をたくさん含み軽くなりまふ。(水蒸気=18g/mol 酸素=32g/mol 窒素=28g/mol)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~sh-watch/divers-life/air-weight.pdf