1月18日(火)厳しい訓練も、楽しんでやればよく身につくかもね

 こんにちは。晴れ。耳が悴まない程度に気温ゆるむ。煌々
たる満月に照らされて戻るなり。(と、帰って月齢を調べた
ら満月は明日だった。タハッ)















 代官山にて新年会。今日は論客の女子を一人入れてみたが、
おやじどものかたーいおつむは解(ほぐ)れず。ま、自分の
価値観で凝り固まったしとにはどんなマッサージも効かん罠。
他者を理解するってえのは、相手に同調・共感することでは
なく、違いを際立たせてそれを認識するのだ!と我が身に言
い聞かせる3時間。ちかれたはあぁ〜。ま、しかし論理てえ
のは情動6割でやんすねえ。チューインガムと屁理屈は何処にでも
くっ付くと。とか、言い始めると「相対化の地獄」に嵌って
何の生産性も産まないんすが、そもそも生産性の此岸から
離れたゲームみたいなとこがあるから喧嘩にならんのかもね。













 え〜と、と。けふの考察は何だったかな?歩きながら人生
には意味があるような洞察を得たが、たいしたことじゃねえ
から忘れてしもたよ。ま、毎日がこのように過ぎ去りて、又
戻らず。メタに見るコツだけ上手くなっても、実生活を真摯
に生きてる奴には敵わんがな。その辺は学者・文化人・批評
家よりも魚屋のおっさんが優位な点ですな。ブリッ♪












 ふむ。知識学習よりか身体学習のほうが良く身につくと教
育者が言ってた言葉が身に滲みたんだった。日本伝統工芸や
音楽絵画などの芸術、職人芸はたまた芸能、囲碁将棋、スポ
ーツなどの殆んどは身体学習ですね。「ゆとり」よりも「厳
しい練習」ってのが現在の揺り戻し状況なのかな?あんまし
揺り戻し杉ても型に嵌りすぎて堅苦しい!といふ意見もあり
まふが、型が無いと型破りな創造性も発揮でけないという自
己矛盾。ちょと能(脳ぢゃないよ)を見たくなった今宵ですた。










 いよ〜〜!ポンポン たしか水道橋と大曲りに能楽堂があっ
たような?














 別にぼくは若者擁護者じゃないんだけど、若者の言葉使いや
発音にイチャモン付けてるオヤジほど醜いものはナインれすぅ。
言葉や文化は永遠に普遍だとおもてんすかねぇ。じびんの感性
に合わないものを全て否定するって危なくねえですか?穴運さ
ーの話すのが標準ではあるけれど、それが絶対ぢゃねえけんね。
バッケヤロー!!!









 と、憂さ晴らししたとこで、もやすみなさーい♪どもども。