終日どんよりした曇り。20.7℃~27.1℃、64%。蒸し暑い夏日なり。
論理言語とは:
フレ―ゲの業績を追った森田真生氏の「数がつくった言語」(新潮)を立ち読み。作図など具体的なイメージから出発した論証(ユークリッドの原論)は、デカルトによって数式に置き換えられた。式の変形、計算が推論と等価になった。その後カントのコペルニクス的転換により認識の構図が反転し、対象が認識に従うとした。即ち外界の事物は人間が感性で取り込んで作ったものであると。しかしそれは時空と言う形式に従い、知性のカテゴリーによって統合されるものだとした。だから本当の外界(物自体)は認識不可能なんですぅ。それでも先験的な総合判断は可能であると、5+7=12と言う例で説明している。
その後、現代数学の発展で数学の対象は数から無限や特殊な空間など「直観」では理解できない対象が作り出された。そのとき分析哲学の祖フレ―ゲは、日常言語から離れた純粋論理言語を作ろうと試みた。日常言語の曖昧性を排して、概念や推論手順をきっちりと定めたもので当初は誰も分からなかったと。しかし、ラッセルによる矛盾の指摘を乗り越えて、コンピュータ言語の元になる発展を遂げたんであーる!今では1と0というディジットがあらゆる物質を制御してるんですぅ。そうAIの世界ですね。心や意識と言う内部に閉じたものから、言語という外に向かう媒体を純粋に論理で突き詰めた功績は、多少の瑕疵があったとはいえ偉大なものと言えましょう!かな?
でもディジットが何でもできるのかっつうと、それはコード/デコード体系、写像でもいいか、森羅万象をディジットの組と結び付けた操作が重要ではなかろうか?とぼくはかように思いました。即ち、結び付けられれば分かったということです。ジャン