9月25日(木)意識と無意識の狭間。

 筋雲の秋晴れ、夕方から曇り。19.0℃~28.9℃、49%。3300歩。少し涼しい夏日。

 

 自由意志はあるのか?

 最近、意識(consciousness)について無意識的に考えている。特に生物としての連続性。虫にだって魚にだって意識はあるはずだ。で、その(意識の)外見的な特徴はあるのか?それは環境に反応して素早く動けることです。ぼやけた意識では反応が鈍く、突っついても動きません。ですからアメーバから哺乳類まで、刺激に敏感に反応するものは意識があると言えるのです。

 しかしてその意識には自律性があるのか?これは難しい。いわゆる自由意思の問題ですね。思考を飯の種にしている知識人は勿論、「わたしには自由意思があーる!」と言うでしょう。しかし諸々の意識現象を考察するに、ひょとして自由意思は無いのかもしれない?と言うのが最近の脳神経科学の動向です。即ち潜在意識や思い込みによって、意志が行動を選択する前に既に行動は決まっていると。自由意思とは後付け解釈であると。

 皆さんは(勿論わたしもですが)自分の行動は自分が意志的に選択できると思っているでしょ?でも有名なリベットの実験(自分が行動の選択を意識する前に、既に行動の準備指令が発せられている)、選択盲、変化盲、集団盲(ある人がUFOを見たと思い込むと皆見たと思い込む)、などなど不思議な現象があります。催眠なんて思い込みの典型ですね。思い込めば無いものも実在してしまいます。タハハ

 現象的には、こういう意識の機序を前提にしなければ、世界が斯くも多様な解釈になり得なかったでしょうね。北朝鮮中共、新嘉坡、日本、アメリカ、インド、イスラエル、アラブ、アフリカ諸国、イヌイット・・・みんなそれぞれ見ている世界観がちがうのです。70億の人類は皆々それぞれ違う世界を見ているのです。現実に!正解なんてない。みんな違ってみんなイイっ!ハレハレ

 意識を自分の意識で考えようとするのは、ある意味で自分の網膜を自分の目玉で見ようとするようなものです。それがある程度自分をメタに眺められるようになった人類の宿命なんですね。ドッボーン