7月13日(金)居なくたってイイ!という人(女性?)と会った夜。

 薄晴れ。25℃〜34℃、58%。かな〜りあちゅい1日ですたあああ!ガックシ

 エアコンの室外機からでる蒸し暑い空気が、都会の空間を更に蒸し暑くしている中、ビルの狭間から空を見上げたら、赤紫色の夕焼けが、毒々しく空を染めてました。

 銭湯を巡る予定でしたが、余りの暑さに脱水症、熱中症を懸念して中止した。代わりに哲学の集いに参加す。最近はパースに凝ってます。パースが分からなくって当惑してる人のガイドブック"Peirce:A guide for the perplexed"を読んでるですが、これがまた分からなくって困惑してるですぅ。ども。




 ヒトの頭脳の能力差とは:狭いようで広く、浅いようで深い。

 人の思惟的な能力にはイロエロな段階があると思いまふ。ごく単純にランク付けすれば、相互の入り繰りは多少ありますが、概ね次のようになるのではないでしょうか?

 記憶力<理解力<<表現力<<<創造力

 現今の日本の教育の評価は、この逆順になっているような気がしてなりません。記憶力は定形化されマニュアル化された連想法でかなーり容易に強化でけるし、理解力はその課題に関心さえあればそれを強化するのに困難はありません。すかす、分かるということと、それを喋ったり、書いたり、描いたり、して表現することには、その能力に雲泥の差があります。自分では分かった積りでも、それをちゃんと表現できて、人に教えるのはけっこう大変ですよね。

 更に、いくら上手く表現できる人でも、それまで先人の為しえなかった全く新しいことを創出する能力との間には、無限と言ってイイほどの隔たりがあります。ここには個人の卓越した能力以外に、時代環境(文化、社会情勢、科学技術など)も関係してきます。すなわち運不運ということでしょうか。これらの能力が全て劣っていたとしても、人間的なしやわせとは全く無関係であることを付言します。いや逆に、しやわせと上記思惟能力との間には、正反対の相関があるような気もしますね。すなわち:

 凡才>秀才>>天才

ではないでしょうか?これらの間には。深くて暗い隔たりがあると言へるのではないでしょーかっ。ショボーン




 サステーナブルに付いて議論していたら、その全てを無効化されました。ドッボーン