4月6日(金)玄鳥至(げんちょういたる)、ツバメが南からやって来るころ。

 曇り、のち夜雨。12℃〜22℃、58%。南風強し!花粉多い。

 4月に入ってから、急に草花が萌え立ってきて花壇は既に百花繚乱ですぅ。樹花もハナミズキやマルメロなどが華やか。生垣にはアカネモチが赤い新芽をつけてます。やはし春は心浮き立つ季節ですね♪

 今日は風が強かったので、カモメたちが喜んで、舞い飛んでました。風上へも自由自在に飛べるのは、気流を読んでるからかな?ツバメの姿を、あんまし見なくなったのは、巣を作る場所が少なくなったのか?はたまた餌の虫が少なくなったのか。ザンネン





 死生観とは:

 生死に関する世界観のことであーる。ホントはとても大切な事であるが、死を忌む人はあんまし考えたがらないし、まだずっと先のことだと思てる人も考えない。死が日常と接する戦場では、極めて切実な問題になります。しかし、人々を生きさせるのが使命と考えている医者は死のことはあまり考えません。

 死を考えることは生を考えることだとした、分子生物学の泰斗@渡辺格先生は「ωプロジェクト」なるものを立ち上げましたが、その途上で孫と遊んでる内にピンピンコロリと大往生しました。ギリシャ時代を探ると、死はかなり日常に近いもので、死んでもすぐ戻ってこれると軽視していたので、すぐに死んでしまう人が多かったと。これはゲーム中毒の少年にも少し見られるのかな?リセットして再立ち上げとか。元々気が付いたらわけもなくこの世界に投げ出されてたという感慨からは、むべなるかな! 葉隠れ武士は死を絶えず見つめながら(メメントモリ?)、利己心を捨てることが冷静な判断に繋がるとしたが、戦時中は徒に死を賛美する風潮に油を注したと。

 現代は超高齢化社会になってもうて、平均寿命も古来稀なる70歳は優に超え、傘寿の80歳をも超えて、卒寿90歳なんて祝う気にもなれない百歳超えが8万人近くおり、老人が満ち溢れております。こういう時代の死生観とは何か?

 それは潔い死に際ではないのかと、憲法9条を改悪したい人々に提案したいっ!・・・徴兵制の年限を65歳以上として、高齢者に国に殉ずる働き場所と生き甲斐を与えて頂きたい(最近の戦争は電子戦だから、突撃なんて体力使うのは少ないですぅ)。もちろんこれに賛成致したる選良@国会議員には名誉として、最前線の2等卒として体力を使う活躍の場を義務として与えたいと思いまする。これまさに一石二鳥也!

 要するに、前大戦中のように死を賛美して、若者の死を煽るのではなくして、「まず隗より始めよ」と言うことですかねぇ。これこそまさにはっきりと申し上げて、ノブレス・オブリージュではアルマイト。下層民にばかり義務を強制してはいかんぜよ!ジャン