3月7日(水)言葉の中身よりも、その言い方や態度の方が雄弁だったりする昨今。

 概ね曇り。3℃〜8℃、51%。プールだん。ようやく白モクレンの花が開きました。日に日に春めいて来ましたが、今日は寒の戻り。





 上滑りな言動とは:

 これは誰にでも経験があると思いますが、いわゆる論理の為の論理で言い張ることです。綺麗ごとと言ってもイイかも知れません。自らの生活実感や身体性が全く感じれないのに、言ってる事だけは立派!という言辞ですね。こういう人は評論家と揶揄されますが、実際に評論家に多いタイプです。例えば、ベンチャー支援のコンサルタントや評論をやっているのが、毎月一定の、それもかなりの収入がある大学教授だったりします。そんなにベンチャー起業を煽るんなら、ちみが大学辞めて、全財産はたいてやってみろよ!とか野次を飛ばしたくなりまふ。自分は安全な所に居て、人のリスクを煽ってるんですね。また、それで儲けたりしていると。

 こういう現象は至るところで見受けられます。ま、最近のメディアなんかもその代表でしょう。サラリーマン化して上の意向には唯々諾々としながら、ちょっと弱みを見せた失敗者は居丈高に叩くと。だから上の上たる政府には絶対に逆らいません。共同体、社会、弱者が大事なんじゃなくて、我が身のみ大切という心性!これでジャーナリストを名乗るとは烏滸がましい。

 とは言え、なんに対しても自分が自分の身を掛けなければ、ものが言えないというのも息苦しい。例えば、株式評論なども、自分が投資して乗るか反るかの経験をしなければ、ものを言う資格なーし!とか言われたら、その意見はかなーり偏りますよね?それに専門家に専門性の無い素人が物を言うべきではない!とか言ってたら、専門性はタコツボから出れずに、それこそ素人の素人による素人の政治たる民主主義は成り立ちません。岡目八目の理(ことわり)もあり、第三者的で冷静なスタンスが必要なときもありまふ。

 とか、上滑りな考察を縷々のべましたが、本当にこころに届くのは、粗雑だろうと、矛盾だらけだろうと、自分の心身を伴った真情を述べた言説ではなかろーか、と斯様に反省したる次第。なにしろ、言葉は嘘をつくためにできたんだっ、とする極論があるくらいですから、昨今の官僚や財務省の言い訳を聞いてて実感しましただ。どもども。