2月18日(日)存在と時間と土俵とは。

 快晴!-2℃〜10℃、19%。北西風やや強し。乾燥!久しぶりにプールだん。


 日比谷方面に進出す:読書を楽しむように、美術作品を鑑賞する。

 日比谷図書文化館で「DOMANI・明日展PLUS」つううのが今日までだったので、急遽出動す♪風冷たしと言えど、中は暖か。文化庁の海外研修芸術家の成果展ですぅ。キノーラというパラパラアニメ、コマ撮りアニメの表現が斬新!本の芸術としても楽しめます。副題は「本という林、図書館という森」なんですぅ。まさに存在とは、パラパラとうごめく時間のことなのであろーか?




 裏腹シリーズ:「無駄な時間とは、決して無駄な時間ではない!」

 これは、字面で言えば矛盾します。特に効率最優先な価値観から見れば、なにを言ってるのか全く分からんでしょうね。すかす何も考えずにボーっとしている時にはDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)つう脳内の神経回路が活性化して、潜在的なヒラメキ回路が全開になるんですぅ♪座禅組んだり、マインドフルになったりしてもこの回路が活性化するとゆわれていまふ。つうことで、無駄な時間を持てない人は、決して創造的な仕事を出来ないってことなんすよ。時間は万人に平等に割り振られ、平等に流れ去って行くと!ナムナム




 同じ土俵とは:

 議論の場や共有する文脈が同じになることなんであーる。言い方が少し抽象的ですが、無数にある争点を1本の軸に合わせてしまうことなんすよ。いわゆる論点ズラしと逆の手法ですね。例えば、ジョンウンくんの富国強兵策に合わせてしまうベーアーくんの態度を思い起こせばエエでしょう。その国の価値を上げるのに、優れた文化や他国との共生などイロエロな方法があるのに、(民は困窮しても)軍事に極端に偏った政策しかないと思い込むことです。威張りんぼの思想ですね。ここで注意を要することは、この傾向は多かれ少なかれ人間誰にもあることなんす。余程注意して見ていても、見逃すことが多々あります。特に自分自身の内心については。

 最近、御用学者が、世間の危機感を煽るために社会に潜伏する「草(スリーピングセル?)」の存在を示唆しました。すかす、これに対する反発も激しく、当該発言は炎上しますただ。・・・この状態を、更にメタな見地から眺むれば、叩き叩かれ、人を馬鹿にし馬鹿にされ、まったくおんなじ土俵の上の現象ではあるまいか?と、反省致したる次第。この世のことは、斯くあるように、(多少ルーピーになりて少し上の方に漂っていないと)たちまち修羅の巷に巻き込まれてしまうと。頭よさげに発言すること自体を厳に慎むことは、斯様に難しきことではござったで御座る。ブーーーン