12月25日(月)ひとりぼっちのクリスマスなり

 晴れ。5℃〜15℃、34%。北西の風やや強し。深夜に纏まった雨が降ったようだ。

 土曜あたりから左右の耳の聞こえ方がアンバランスな感じがしていたが、今日も治らないので耳鼻科に行った。聴力検査をしたら、左が突発性難聴になっているらしい。ステロイドを1週間飲んで様子をみるんだと。自覚症状としては、左耳が籠って聞こえる。半分だけベートーベンな気分。




 自分がいっちばーん!

 唯我論というのがあって、世の中人間はいっぱいおりますが、自分だけが特別に見えるってことです。極端に言えば、周りの人も自然も幻かもしれないと。デカルトは考える我だけが疑いなく存在するとして、精神を身体から分離した。すかす最近はその精神てのも身体(物質)に依存してるんだとして、精神の独走を許さない考えが主流です。だいたい脳自体がブッシツですからね。そのブッシツ(脳)が物質に支配されてるってのは理の当然。アルコールやヤクなどの外部物質だけでなく、脳内や体内のイロエロな化学物質の影響を精神(心?)が受けているのは確かです。そこで自分とは何か?つう疑問が湧いてきますね。脳という臓器を入れ替えれば人格も移っていくのか?それとも記憶だけ移植できれば心を移植したことになるのか?これを唯脳論と言ふ。カフカの「変身」では、ある朝起きたら蟲になっていたと。AIに心が移植で来たら、「ある朝気が付いたら機械になっていた」なんてことが起り得るのかな?

 しかし記憶などという曖昧なもので自分を代表できるのか?ぼけて痴呆になったら人間ではないのか?この辺は極めて難しい問題となります。なぜなら人の意識はその人のほんの一部で、もっと大きい前意識や、更に大きい無意識領域が人格を構成していると思われるからです。明晰な意識だけが人格ではあーりまへん!コンピュータやAIは人の意識部分、論理的な部分の能力を拡大・強化できますが、無意識部分には手が及びません。無意識という膨大な平行処理が解明されて初めて、AIによる人格の移行という課題が少しだけ進展するかも知れんですぅ。ちと堅い話でスマソ。

 追記:記憶ということでは、記憶曲線つうのがあって、まったく無意味な文字列を記憶すると1時間で半分近く忘れちまうんだと。1日後には1/4しか覚えていないと。その後の減衰は緩やかになるが、ずっと記憶を保てる率はせいぜい2割前後なんだと。でも意味が有ったり、連想できたりする記憶はこの範疇ではない。羽生さんだって、10人以上を相手に将棋を打てますが、幼稚園児が指した手は全く覚えれないと。即ち人間は意味がないと覚えれない生き物なんす。という意味では「意味」に縛られた生物と言えるのかも?そうそう、養老孟司さんがゆっていた「人間は絶対にランダムは作り出せない」と。「自由に思いつくまま1か0を言って見て?」と言われても1,1,1,0,0,1,0、・・・つうのは絶対にランダム(乱数)にならないそーだ。何処かに規則性や意味が入ってしまうんだと。だから人は鉛筆を転がしたり、サイコロを振るんですぅ。