7月27日(木)なじかは知らねどスイカの日

 曇り。24℃〜26℃、78%。プールだん。スイカは好きだったなあ♪誕生日はケーキよりもスイカが欲しいと言ったですぅ。





 運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど:



 そーゆーことって、無いと思ふ。不思議なことに大宇宙の天体運行などは、決定論的に決まっているように見える。しかし、細胞や素粒子レベルになると全てはランダムで不確定!まるで混沌とした未来が、現在でフィルタリングされて、過去に移行すると、完全に決定論、宿命論に変じるが如し。人間の、全てに意味を与え、物語りにしてしまう本性によるところか?

 ゲン担ぎや御まじない、お守りなども、多少の心理的な効果は見られるが、トータルで見れば平均化されて埋もれると。琴奨菊ののけ反りポーズも五郎丸のお祈りポーズも既にその験なーし!丁半博打も大数でとらまえれば、丁がずーっと続いたり、半ばっかしでることも、確率的なランダム性の一環なんすよ。

 元々生命ってのはリスクの固まりなんす。安全安心で、沈香も焚かず屁もひらずの人生を送っても、最後は青山の中。失敗のリスクを冒してでも、もぎ取るべき人生の果実は多いはず。失敗は財産、失敗のリスクは回数(大数の法則)で分散せよと。

 この世界のすべての認識は脳が作ったと観じれば、ある出来事が決定論的であるよりも、全て偶然的ランダムの結果だとした方が楽しいような希ガスる。人生の決断はすべてギャンブルなんですぅ!・・・すかす、この世界の全ては神が予め決定しているんだっちゅう方が、何も考えなくてもいいから安心なのかもね。タハハ






 ま、雀士としての諺を多少列記すれば、・ぼやく口からツキ逃げる、・運も実力の内、・耐える時期には耐えるが吉、・ツキは必ず回って来る、・・・などでしょうか。そもそも確立計算をすれば、我らがこの世界に存在するってことだけでも、ものすげー希有な幸運なんですぅ(希有な不幸と思てる人も若干おりますが)。ジャン