4月23日(日)言葉とは、人間の本質の一つであーる。

 久しぶりの快晴!10℃〜19℃、59%。花粉やや多い。プールだん。

 薫風につられてお台場方面に進出す。ダイバーシティの屋上が貸農園になっている。ヴィーナスフォートで食事。海外からの観光客多く、イロエロな言語が耳にそよぐ。






 言語耳とは:母語の韻律(プロソディ)体系に合わせて「修復」が起きることであーる。

 赤ちゃんの言語発達過程を研究すると、日本語耳は生来のものではないようーだ。では何時から日本語耳になってしまうのか?それは赤ちゃん言葉を話し始める時期と一致しているとか。

 日本語耳とは、日本語特有の音韻や韻律しか聞けなくなることだすぅ。例えば、McDonaldは英語では3音節マク・ドー・ノーですが、日本語耳ではma.ku.do.na.ru.doと6音節になってしまいます。RとLの区別や子音の連続も聞こえなくなりまふ。逆に促音や長音は区別できますが、英語耳では地図とチーズ、西と日誌の区別が付けられません。このような日本語特有の音節や音調、音長、抑揚、リズム、強勢を弁別でき、他言語特有の韻律を区別できなくなることを日本語耳と言います。

 例えば連続子音を弁別できるかの実験で、「abna」「ebdo」などの子音が連続する発音と、それを日本語耳修復した「abuna」「ebudo」などの発音を聞かせて、区別できるかをためすと、8カ月までは区別できるが14カ月を過ぎると区別がでけなくなるようだすぅ。他もイロエロためすと日本語耳は14カ月でほぼ完成すると。

 日本語耳は「かな」の所為で子音ー母音一体化するのではないか?つう仮説もありましたが、ことばもあまり知らない幼児の内にもう修復が起きているということが分かりました。8カ月以前はいろんな言語の韻律を全部区別できてたんだから、母語を習得する過程でその母語に特化した耳が発達してくるようだすぅ。・・・しかし、大人になっても、多少時間は掛かりますが、他言語耳を鍛えることはできますから、諦めないことが肝要だすぅ!



 同じ日本語耳でも方言により耳(脳内?)の違いがありまふ。例えば(標準語とか相対的に威張ってる)「東京方言」と「東北方言」では使ってる脳の部位が違うらしいのだ。例えば、単語内の差異は左脳で、全体の抑揚などニュアンスは右脳が優位で処理される事実がありまふ。「飴」と「甕」など異なる音による弁別は左脳で、「飴!」と「飴?」など音の高低による肯定・疑問のニュアンスの違いは主に右脳で処理されると言ふ。しかるに、「飴」と「雨」など単語内の前後での音の高さの違い(ピッチアクセント?)で意味を弁別する東京方言は左脳で、無アクセント方言なる東北方言では右脳で処理されるという違いが見られたという。いずれにせよ、敢えて努力や無理をせずに、すんなり耳に入ってくるのが地元の方言なんすねィ。ども。