9月3日(土)唯脳戦争論とは。

 概ね曇り、時おり陽ざし。24℃〜32℃、79%。

 ベランダでチリリチリチリと虫が鳴いている。不思議だ?こないだの颱風で飛ばされてきたのか、鳥にくっついてきたのか???でも、ここでいくら鳴いてもメスは来ませんよ。ショボーン




 唯脳論:で戦争を語る。

 これは養老先生のお言葉ですぅ。この世界の全ての事象は、個人の主観的な認識内にあるのだといふ。言い換えれば、脳が全てを作り出していると言へまふ。そーゆう意味では、人が見ている全ての世界はヴァーチャル(仮想)と言えないことはないと。仮に人の攻撃性が生得的だとしても、ヴァーチャルの世界で戦争させて攻撃性を満足させれば戦争は無くなるんではないのんかと。即ちゲームやスポーツ(これもヴァーチャルな戦争と言えないこたーない)などで発散すればいいのだすぅ。

 元々人類には攻撃性と共に、優しい心でそれを抑止する力も備わっています。だから世界には戦争屋もいるし平和主義者もいるんです。これは程度の差はあれ、どんな人にも備わっているから、残虐な場面では気分が悪くなったりします。この抑止感情は、人類が手で殴りあったり、石を投げたりしている頃は抑止力として上手く機能していました。武器が飛び道具(弓矢や鉄砲)になり、爆弾やミサイルになってくると相手が不特定になり、ヴァーチャル化して、戦争が抽象化されてきます。抽象化すればするほど残虐なことが普通の人にも可能になり、原爆投下までやっちゃうんですね。だからアバターみたいに仮想の世界で残虐性を発散させれば、実際の戦争はなくなるだろうと。

 でも、ホントかな?いくらゲームの中で頃し合いさせてても、個人の粗暴犯でさえなくならないのにね?それに攻撃性が内側に向いた自殺でさえ無くなりません。野生の頃には適応的だったこの「攻撃性」を人類は果たして制御でけるんか?これは一つのハードプロブレムと言へるですぅ。・・・今現在は相互確証破壊や軍備の抑止力に頼ってますが、実際は米国の銃器放置のように、すっげーリスキーなんですぅ。いつオウムのような狂信者が出てこないとも限りませんし、実際ISILのような無差別テロも増えてマスカラからねィ。ドーシタモンジャロノー!