2月20日(土)暖かい雨で土が潤い活気つく頃

 終日雨、夜に入り風雨強し。7℃〜10℃、80%。






 共有地の悲劇:ものごとは仕組みによって駆動されるのか?はたまた競争か?

 自由競争社会における最も重篤な欠陥は、このコモンズ(共有地)の悲劇でしょうね。自分の所有地であれば資源が枯渇しないように管理しますが、共有地だと自分の牛を制限しても他の牛が草を食べて枯渇する恐れがあると。そして最終的には回復可能な限界を超えて共有地は枯渇します。そこで結果的に、全ての人が被害を受けることになるんだすぅ。こういう機序は分かっても、自分が真っ先に制限しようとは思わない。これは牧畜に限らず、漁業とか水利とか環境汚染(大気、河川、土壌など)、はたまた宇宙利用、電波利用、交通手段などにも係わってくるんすねィ。欲に任せて自由に価格競争させれば、分業の調整は自動的に為されるってな古典理論のコテンコテンな敗北ですぅ。


 例えば、給料水準だってコモンズの争いってな見方もできまする。イロエロな優遇施策によって企業に富が集まれば、その内にトリクルダウン(おこぼれ?)が起きるだろう!ってな推測は自由競争下では起きませんでした。労働だって自由競争下での労働市場の商品です。いくら政府が「賃金を上げろ!」とか言ったって、労働市場がそういう構造になってなけりゃ賃金は上がりません。その結果、カネは回らず徒に企業内留保や日銀口座に積み上がってマース。「いや〜、賃金上げて需要を創出ってな理屈は分かるんだけど、おれんとこは苦しーから他社が上げてくんろ。」ってな心情でしょうな。これは正に共有地の悲劇!自分のとこだけ良ければいーやってことで社会は乱れていくんですぅ。ショボーン

 とは言え人の心情に頼っていても、未来への展開は開けない。非正規を増やして賃金の低下を加速するより、労働者の権利を確保できるシステムが必要でしょー!ってなマルクスに帰っていくのかなぁ、結局のところが。ショボーン