1月31日(日)鶏始乳(ニワトリが卵を産み始める頃)・・・昔の鶏は冬に卵を産まなかったのだろうか?

 曇りがちな晴れ。2℃〜10℃、51%。

 10日ぶりにスィミングー♪行くまでは億劫だが、行くと楽しいってことあるよね。さてこれで忘年会、新年会の季節は去ったな。面白きこともなき世をおもすろく、住みなすものはココロなりけり(東行)。U23韓国戦、2点先行されたところで諦めて眠ってしもたですが、起きたら勝ってた。ああ、こんなこともありき。でも録画で見ても興奮するよね。浅野のゴ〜〜〜〜〜ル!!!五郎丸ポーズの次はジャガー・ポーズが流行りそう♪





 身体論(備忘):

 結局デカルト心身二元論を採って、霊魂(心?)を上位におきました。それは認識主観と客体としての物質という分け方で、身体は物質側に含まれます。それが科学的方法論を発達させ、身体も解剖により客観的に分析されました。しかし心の科学というのは置き去りにされた訳ですぅ。心身二元論は、プラトンなどギリシャ以来の伝統で、魂はイデア界にあって不滅である。一方身体は可滅で欲望に汚されている牢獄であって魂を閉じ込めているんだ!それ故、氏は出獄であり開放なんですと?そしてたましいの良さ(徳?)は毎日の論談で磨かれると言い張って、議論ばっかししてました。理屈っぽくないと人ではないと。ぷっ

 一方、アリストテレスは心身が別か、一体かなどは考えるべきでない!と生命哲学の方向に逃げた。生命の本質は魂でもあり身体でもあると。またキリスト教では肉欲を否定する一方、キリストは栄光ある身体に受肉したとして、その身体(聖餅)を食べ、その血(ワイン)を飲むことが儀式化している。聖餐というのはある意味、凄惨ですね。いくら栄光ある身体とはいえ体を食べ、その血を啜るんですから。やはし荒野をオリジンとした厳しい宗教かも?






 思い込みとは:

 いくら科学が発達しても、人間の思い込みは無くなりません。昨日、Oリングテスト(マッスルテスト?)つうので人を操ってる爺さんを見た。親指と薬指でオーの形に輪を作らせて、施術者が指を掛けて開けようとする。それが簡単に開けば、その人は悪い想念を抱いており、固く開かなければイイ想念を抱いているんだと。これは自分に合う薬とか食物の選別にも使えるんだと。合気道で掴まれた手を簡単に解く術があったが、それと似ているのかもしれないし、思い込みが無意識に筋肉に影響するのかもしれない。いずれにしろ科学的には頗る怪しげにみえました。

 でも世の中にはプラシーボ(偽薬)効果とか、水素水とかホメオパシーとか、科学的でなくても思い込みで効果をだす偽物はたくさんありまふ。占いとかお祓いもそーかもしれません。いやいや初詣で心身が洗われた気になるのも思い込み?ま、宗教そのものも思い込みかもしれませんがね。ぷ  いやいやいや科学自体もその一部は既に信仰の領域に入っているかもしれませんねぇ。思い込み畏るべしっ!!!