7月17日(金)鷹乃学習(鷹の幼鳥が飛ぶのを学ぶ頃)に「学ぶ」を考えてみた。

 雨のち晴れ間。24℃〜30℃、82%。台風の余波で風強し。





 考えることと分かること:瞬発かじっくりか

 筋肉にも短距離に適したものと長距離にてきしたものがありまふ。脳にも似たような傾向があって、大量の計算問題(100マス計算など)を短時間にこなす練習ばっかししていると瞬発力が出て試験の成績が上がりまふ。反面、どーしてそうなるのか?とじっくりとじっくり考えることが出来なくなってしまうのだすぅ。果たしてどっちがイイのか?これは人それぞれだすな。事務処理を効率よくこなすスタッフは前者がイイのかも知れない。しかし創造性を発揮する部門はじっくり型がエエでしょう。

 小学校1年生はみんな算数が大好きなんだけど、4年生くらいになると半分は算数が嫌いになります。これは不思議に思う心をじっくりと育てずに、正確さと速さばっかし競わせるからではないでせうかっ?日本の学生は高校くらいまでは優秀なのですが、自分で考えないと論文も書けない大学では米国に負けてしまいますぅ。ザンネン(いや、最近はコピペで書けるからイイのかな???)知識と創造性の相克、考えると分かる、いや分からないから考える?不思議に思うことが科学の始まりなのれすな。

 科学的な理論は「不都合な事実」の不思議さで発展することは確かだす。今までの理論に合わない事実が出てくると、まずは事実を疑ったり否定したりしまふ。が、そのうちに事実が確定してくると、今度はその事実に対して自説を守る理屈が考え出されまふ。「不都合な事実」だけでは学説は倒れません。その学説が倒れるのは、その不都合な事実を含んで、纏めて説明できる新理論が現れ、「理論の枠組みの転換」が起きたときなのれすね。天動説がホントに倒れたのは、ガリレオコペルニクスの「不都合な事実」の発見ではなくして、ケプラーニュートンの理論がすべてを合理的に説明できるようになった時なんですぅ。

 旧理論を守るも攻めるも、みんな「考えること」が大切なんであって、知識(事実?)ではないんすよ。そこんとこよろすく♪



 ま、蛇足ながらわだすは知識をバカにしているわけではナインです。
「学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。」・・・知識があっても自分で考えなければ役に立たないし、考えようとしても知識がなければ独善狭量となり危険だっ!と昔の人は言いましたぁ♪






 新国立競技場白紙に!

 さすがアベちん、よくやったぁ!このまま進んだらどーなるかとおもたですよぉ。すかすこりで、文教族「清和会」が牛耳る数千億円の利権にも大変な調整が生じるんでしょうねィ。アハハ 反原発で恋住さんが潰れ、五輪で森元さんが潰れれば、清和会でも独裁ですねぇ♪