5月8日(金)銭あるところアートあり!

 PM2.5な、ぼけ晴れ。17℃〜27℃、41%。渋谷は相変わらず人大杉




 アートとは:存在の耐えられない不安に根差すのか?金銭?

 小樽にゆってきた。と言ってもボッティ(樽)チェリ(小さい)とルネッサンス展(銭と綺麗?)なんす。券が5月10日までで週末は混雑するから、急遽出動す。本名はアレッサンドロ・D.M.フィリペーピつうながーい名前だすぅ。

 そもそも「ベニスの商人」にもあるように、銭ゲバは当時の宗教観からは極端に蔑まれておりますただ。カネ貸して、ある期間が経ったら、自動的に利子という金子が手に入ると。こりは時間を銭に換算しているようなもので、時間を管理でけるのは神様のみであーる!として教皇庁からも睨まれるんであーる。そこで考え出されたのが当時の金融工学!「手形や小切手、為替などは金貨でなくって只の書付、これを動かしても何の障りもナインであーる!」と抜け道を作ったのがメディチ銀行。これが大当たりして、金貸しで巨万の富を集めてしもたんだすぅ。

 すかす、紙で誤魔化したりとは言へ、時間を銭に替えたのには変わりはなーい!この宗教倫理と銭ゲバの、仲を取り持ったのがアートなんすよ。メディチ家は巨万の富の一部を、美に替え始めた。そしてダビンチ、ボッチチェリ、ミケランジェロなどアーチストたちのパトロンとなって、ここにレネッサンスの華が開いたのどすぅ。銭と美は変換可能で等価なのかな?A=mC2(where A is art,m is money,C equals chance) つう等式を考え出したのが、ロレンツォ・デ・メディチ(消毒?)なんすよ。

 やはし芸術ってのは、銭の余るところに興隆する、ってホントなのかもね?小樽氏の絵には聖母子が多いんですが、これにも当時の社会が反映されていると。即ち、海路にしろ陸路にしろ当時の交易は極めて高いリスクを前提としていまふ。夫や息子の無事を祈る貴婦人のインテリア・アートとしての需要が、多かったのだとか。つまり、旅のお守りですかねィ。

 で、世相はロレンツォの華美から、松平定信じゃなかったサヴォナローラの華美禁止令まで大きく揺れ戻し、小樽のとっつあんも翻弄されたる人生だったんだすぅ。フィレンツェの没落後、富はローマに移り、その後スペインやフランス、英国を経て、今はニューヨークがアートの中心。富と共にアートの中心も移ろうっつうのはホントのような気がする。「選ばれてあることの恍惚と恐怖と二つ我にあり」(ヴェルレーヌ)。銭もアートも人の気の移ろいなり!

 アートとしてみれば、肌や衣装などの質感、はたまた人物の感情表現、踊る色彩の供宴、空間構造の深み、などなど、極めて高いものがありまふ。これは修復技術の進歩によるところが多いでしょう。ついこの間描いたばっかしじゃないのん?つうヴィヴィッドさですぅ。一見の価値ありと推薦す♪どもども。