4月28日(火)もう長袖では暑いかも。下北半島に春は来たのか?

 今日も物凄く白っぽい晴れ。15℃〜26℃、52%。東京もようやく夏日になりました。


 ちょっつ下北方面にゆってきた。ども。




 何をもって指標とするのか:

 語学の上手さは、その言語で話されるジョークやコントを笑えるかどうかですぐ分かると言われまふ。ボキャブラリーの豊富さばかりでなく、時代を反映するスラングの理解や、文化的背景までも理解していないと笑へないからである♪(ガイジンが落語や漫才で大笑いしてたらモノホンですよね?)

 それに比して自分の抑圧や偏見はとても見えにくいですぅ。それらは何に現れるのかっ?それは性的なものに現れるってのはフロイトを待つまでもないです。抑圧のない動物、例えば競馬を見に行くとパドックで馬たちは好きな時にブリブリっと糞をしているし性器も丸出しです。リンゴを食ったアダムとイヴの子孫は恥を生じて性を抑圧してしまいました。

 中世の宗教は概ね性的なものを抑圧していましたが、近代、現代に至って無暗な抑圧から次第に解放されてきました。特に芸術面では彫刻や絵画で開放が進んで、ミケランジェロダビデ像とかクールベの「世界の起源」とかが大美術館で展示されるまでになりますた。(クールベは「私は絵画において嘘をついたことがない!」と放言し、つるっとしたビーナスの丘を拒否しました。)

 すかす最近の日本はダビデにパンツを穿かせるような恥ずかしさ!官憲が性をコントロールしようなんて100年戻ったような感覚が蔓延しています。そもそも猥褻物陳列罪なんてゆう法律が過去の遺物だすぅ。人間の臓器の中で最も大切なものを「猥褻物とは何事じゃい!」とろくでなしな人は申しておりました。仮に社会的な制約で好ましくないものを禁止するとしても、「秘仏公開罪、または秘宝公開罪」くらいの軽犯罪でイイんではあるまいと。

 例えばですねィ、アマゾンの裸族は裸は別に恥ずかしくはない。でも腰に一本の紐は巻かなくてはならない。その腰ひもが外れた時は身を揉んで恥ずかしがるんですぅ。斯様に恥ってのは文化依存性があるんで、それが絶対ではないとする認識は必要でしょう。

 ま、通念つうのは社会の進度に応じて開かれていくものなんですが、あんましリジッドな行動は、取り締まる側の猥褻度を開示しているようになりますから、十分考虜した方がエエでしょうねぇ。だって劣情とか猥褻ってのはおまえの主観だろ!と判事検事さんにはゆいたいのら。アハハハハハ