3月6日(金)啓蟄、虫(蛙?)が穴から出てくる頃

 概ね曇り一時晴れ間。5℃〜10℃、53%。夜は風がつべたい。




 久しぶりに落語を聞く:

 落語って、落ちのある噺しから来たらしいんだ。落ちのないのは軽口だす。最初は町内の同好者が集まって噺をし合ってたんですが、そのうちに上手いのが出てくる。それで定期的に集まって噺の集まりをしてたのが幕府の目に留まって、「世を騒がすかっ!不届き者!」ってなったのが江戸初期の頃。いや江戸幕府って、今で言えば軍事政権ですから庶民への締め付けがけっこう厳しかったんすね。服部半蔵の配下が秘密警察を作ってたしィ。いたずらに集会を開くのはご法度だったんす。

 それが1700年後半の江戸中期になると規律もだいぶ緩んできた。そこに出てきたのが落語中興の祖@立川焉馬(かつ烏亭 焉馬、はたまた立川談洲楼、而してその実の名は中村英祝)だすぅ。そこからまた「噺の会」が始まって、現在の隆盛に至ると。今は東京に400人、関西に300人の落語家がいるけど寄席の数は一ケタで、1/4くらいしか席が掛からないらしいです。後はみんな弟子で部屋住み。でも落語界はけっこうオープンで、色んな師匠に教えを乞うのは自由だす。家元制で流派相伝だと弟子は師匠より小粒にならざるを得ません。それを避けるための出稽古自由なんだって。と、桂伸治師匠が申しておりました。(でも太鼓持ちは10人もいなくて絶滅危惧種なんだって。これは素人衆がみんな太鼓持ちになっちまったからかなぁ?ショボーン)

 で、今宵の出し物は、長屋の花見と太鼓腹♪いや酒飲みの噺が実にリアルですぅ。実際には下戸の噺家の方が酔っぱらう噺が上手いらすいのだ。自分は飲まずに周囲の酒飲みを冷静に観察でけるからなんだと。ふむ、これには一端の真実が含まれているような希ガスる。お後がよろしいようで。パチパチパチ





 記念スイカ

 1月に申し込んでた東京駅記念Suicaの返事がきた。10万枚予定のところが、想定外に500万枚の注文が来てしまったので全部処理するには来年の4月まで掛かるんだと。わだすの分がいつ頃になるのかは、製造状況を勘案して4月に通知するだと。なんと記念事業で100億円のあぶく銭?初期の限定数量マーケティングが効を奏したか?って、JR東日本にそんな商売っ気は元々ないよな。こりは日本人の記念好きの一例にすぎないのれすぅ。ジャン