1月9日(月)鶯の初音が聞こえてくる頃

 寒曇りのち晴れ間。1℃〜4℃、32%。寒気団?




 芸術とは日常の破壊なのか:

 「自ずと明らかである」ことを自明と言います。数学の公理系「平行線は交わらない」などがそーなんですが、実は平行線が交わる公理系もあるんですね。ましてや人間にとっての自明ってのは、各個人ごとに様々で、ある人にとっては自明でも他の人にとっては自明では無いってことが山ほどあるんですぅ。「そんなこと、当たり前だろ!」とかゆわれても、腑に落ちないことは、良くありますよね?それは他人が言ってるから。でも自分がごく当たり前だと思っていることに、自分で異議を唱える者は滅多におりません。それは生まれてからの経験や学習で脳がそのように出来ちまっているから、それ以外は考えれないんすねぇ。

 でもこう言ふ「ごく当たり前のものを当たり前として受け取っている」自然的態度(日常的あり方)をいったんカッコに入れて、当たり前だという判断を止めることをエポケーと申しまふ。そしてそこに知覚されている現われを虚心坦懐に記述し、判断の基準を再構成することを還元というんであーる。(玉虫の現象学理解より)

 でもこれって、ゲシュタルト崩壊を起こせば自然に達成されるんじゃね?それにヒトは学習や経験で前頭葉を発達させて人間になったんだから、それらを全て否定しると狼少女に戻っちゃうんじゃね?エポケー還元もほどほどにしないと、そもそもの人間としての存立基盤が脅かされると。すかす敢えてそれに生涯挑戦し続けたのがフッサールなんすね。自己欺瞞、自己模倣の絶えざる破壊!勇者なりっ!

 ちなみに芸術家で、出来ちまった自然的態度を絶えず破壊し続けた者は少ないですぅ。あっと言う間に確立された自己に安住し自己模倣に陥ると。世界の本質を見抜こうとの芸術家にあるまじき振る舞い。特に日本画壇の大家に多いですねィ。逆に現代アートの若手は自己確立する前に自己破壊ばっかししてるしィ。何事もバランスってのは難しいですねぇ。