概ね晴れ。20℃〜27℃。湿度高く遠方靄(もや)る。じわっと蒸し暑い。
旧日比谷図書館(今の名前はどーしても覚えられない)で「未知の身体世界へ」つうトークショウがある、つんでゆってきた。
養老孟司(76歳)、内田樹(53歳)、森田真生(28歳、フリー数学者)つう3世代にわたる演者じゃぁ。大雑把に言へば3人とも知の限界を感じて無意識や身体に依拠した共鳴・共振を重視する派。言葉や論理の限界を感じているバカの壁。
記録やアーカイブを残す時代は情報重視でシンプルな時代、身体の時代は生きてくことに精一杯で記録は無い。縄文、鎌倉、戦国時代が身体性の時代だったんだと。現代は科学信仰と知の限界が混じりあった時代である。言語や数式による記述は世界を単純化して掬えるものだけ掬うが伝搬力は強い。一方身体知は実感に基づき深いが周囲にしか伝わらない。裏腹なり。
身体実感の鎌倉時代とユダヤの知の伝統を対比させ、言語の限界と言語の可能性を論じたトークは極めて示唆に富んだものであった。むむむ、無無無、いかに無が有を彩りおりたるかは記録の少なさがその尺度であろうか?
最後に「憑依と身体」つうカルトに入り込みしは主観的なる最適化に他ならず。これはウチダ自身も認めているところ。でもこれってアイドルお宅がアイドルになった心算で踊り出すところと似ているよね?これぞオタクの神髄であーる!森田くんは岡潔に憑依されてるんだって。理解とは「憑依」なーり!これが本日の収穫です。ムムム
今、養老さんがイイことゆってたのを思い出したぁ!
細胞ってものすごく小さくて人体に60兆個もあるから、それが基本単位だと思ったら大間違い。その中では1万種以上のタンパク質や何千種類もの化学物質が複雑に相互作用しあっていて、我らが人間社会以上に複雑なのですぅ。タンパク質が温度や周りの環境によってその形も千変万化します。これら全体の機序はとても解明しきれんだろうし、仮に誰かが解明したとしてもそれを勉強する気にもなれないと。要するに養老さんが言いたかったことは科学を信仰するなってことだす。ただし自分の身体に立ち上がった事象は、その範囲では信頼でけると。主観主義の範疇なり。
なにはともあれ、もっともらしい事やもの、人物が大嫌いな自然体人間ではありますたぁ。でもこのアホダラ教租さまの信者はけっこういるんですよね。ぼくも昆虫分野に限っては信者かもしれんなぁ。進化の収斂!