4月10日(木)そもそも言語をしゃべること自体が思い込み脳なのであーる

 
 春霞な晴れ。12℃〜22℃、37%。夕方から北寄りの風やや強し。乾燥注意報。花粉多し。一番変化の激しい季節なり。




 思い込みシリーズ:思考とは言語であーる。

 「われ思う故に我あり」とか言うけれど、人間の生活の中で意識が働いてる時ってそんなに多くはないんですぅ。殆どの行動や思考は自動化され習慣化されて効率を上げてるんすね実は。逆に意識して手足を動かそうとすると変な動きになります。ピアノでも自転車でも最初は基本動作を意識して練習しますが、そのうちに自動化機構が働いて考えなくても手足が動くようになりまふ。

 思考の分野でもこの効率化は働いてます。考えの型のようなものがだんだん固まってきて、その人特有の考え方が意識せずに出てきてしまいます。これが思い込みの一種なんすねぇ。自由か規律か、外向的か内向的か、楽観的か悲観的か、個人指向か共同体指向か、など無数の対立軸のどちらかを自然に取るようになります。常識とか習慣とかのレベルは本当は各個人で異なるのですが、思い込みですからみんな同じだと普遍化しちまうんすね。

 これは同じ世界にドップリと長年浸かっている専門家に多い弊害です。イロエロな集団や年齢層、あるいは他国の異なる文化に沢山接しているノマドな人は、この辺の考え方が柔軟です。何れにしろ、思い込みが強いか弱いかの違いだけで、大脳を持ってる人類はこの桎梏から逃れいずること能わず。ただこの事実を認識すれば多少自説を言い張らなくなるでしょう。ジャン