12月20日(金)本末転倒は何時でも何処でも起こりうる世の常なーり

 
 曇り時折り陽射し、午後雨と雹と霙と言ふ荒れ模様。気温8℃から4℃に急降下中。南岸低気圧の通過によるものと見られる。平年より2W早めの都心初雪なり。




 そもそもの大本とは:

 「数学において自然数の1とは何であるか、ということを数学は全く知らないのである。のみならず、ここはとうてい手におえないとして、初めから全然不問に付しているのである。」(キヨシ・オカ)
 そもそもの数の大本たる”1”と言う概念はトリビアル(自明な、些末な)であるとして説明も出来ないのであーる。でもそれを基盤として数論は展開されてまふ。いつまでも何処までも遡ってたら切りが無いので、或る所で打ち切ってそこはもう説明の必要なしとして切り捨てまふ。あらゆる理論の根源は大抵そんなもんなんすね。タハ


 「意識」って言うのもそんなものかも知れません。だいいち意識ってのが何時でてきて、いつ無くなるかを意識自体は決められナインすねぇ。主体性があるようで主体性まったくなーし!しかも意識は気絶や睡眠で突然途絶えたりしまふ。頼りないものなんすねィ。その意識が言葉(概念)を造りだし、その言葉が社会を作ると。しかし言葉の本質は原理的に軽いことです。ありていに言っちゃえば「言うだけはタダ♪」ってことだすゥ。「男子の一言は巌より重し!」なんて景気付けるのも実態はこの逆だからですか?


 近来さらに言葉が軽〜くなってきたのはネット故か?ソーリから魚屋のおっさんまで万遍なく軽い。言ったもの勝ちってな風潮。「新鮮だよっ!」で買ったブツが半腐りだったとか。リピートを前提としない商売はヒット&アウェーで後は野となれ山となれ。ソーリのリピートはあんましないから後は後世の判断ですが、情報がすべて秘匿されてたらそれもママならぬ。


 そもそも意識は既に固まって動かないものしか対象にでけまへん。ネットでも本でも講演でも絵画や動画さえも情報として既に現在進行形でない固まったものですね。絶壁を登攀中の登山家や剣道試合中の武道家、はたまた虫とりしてる子供たちは無意識です。何が起きるかも分からない状況に対処するには意識は邪魔になるのれすねィ。右手と右足が一緒に出てる歩き方とか。


 しかしてネット漬けの子供や大人が増殖して、意識は増々横暴の度を加えるのでありまひたぁ。ども。


 あれれ?大本の話しがネットの功罪になってもうたど。しかし生物のそもそもの大本は身体であって、意識なんてのはそこからの派生物なんすね。デカルトみたいに本末転倒してはいけまへん。どもども。